ファミリーレストランで男が炎上し死亡。連続で起きる獣に噛み殺される事件。徹底した男社会の警察組織の中で、同僚から煙たがられ、家族に理解されなくとも、犯人を追い求めて女性刑事は走り続ける/凍える牙 乃南アサ

女性刑事が活躍する小説が読みたいと探していたところ、こちらの作品を見つけました。

直木賞受賞のベストセラー小説です。

【簡単なストーリー】

深夜のファミリーレストランで男が突如炎上し、焼死する事件が発生。

警視庁機動捜査隊の音道貴子は、捜査本部員となり中年の刑事滝沢と組んで捜査をするが、滝沢は音道を無視して相手にしない。

滝沢の露骨な態度に、音道は事件解決まで滝沢と行動しなければならないことにうんざりする。

捜査が進展しない中、大型の獣によって噛み殺されたと思われる事件が発生し、その噛み痕が焼死した男の足にあったものと酷似していることがわかる。

奇妙な二つの事件の繋がりに困惑するも、犯人もその目的もわからないまま、また一人獣に噛み殺される事件が発生。

犯人の目的は?襲っている獣の正体は?

男社会の警察組織の中で、同僚に煙たがられようとも音道貴子は犯人を追い、走り続ける。

著:乃南アサ/新潮社文庫

どんな本?

女性刑事の音道貴子を主人公とした警察小説です。

音道の視点と、一緒に組んで捜査する滝沢の視点の二つで構成されています。

これはそのまま、女性視点と男性視点で同じ物事を見聞きすることとなり、二人の考え方・受け取り方の違いに男女差が出ています。

お互いを嫌っていることもあり、お互いの行動はそれぞれの視点では悪い方に捉え、勝手な想像をしては腹を立てたりします。

言葉や態度に出しているつもりはないのに、相手が嫌いという理由で「こんな風に思っているに違いない」や「自分を馬鹿にした目で見ている」など悪い方に捉えて益々嫌いになります。

これが酷くなると被害妄想が激しいと言われますが、誰しも気に入らない相手に対しては何でも悪い方に解釈して、次第に「陰では自分のことを悪く言ってるに違いない」という憶測が、本当に悪口を言っていると信じ込んでしまうことがあります。

音道も滝沢もお互いを気に入らないとして、信頼関係を中々築くことが出来ません。

滝沢は男社会の警察組織の中で、犯人と接触がある危険な職場に女性の音道がいることが気に入りません。

女性の相棒というのは初めてでやり辛くて仕方なく、また音道が現場を捜査する刑事の中で唯一の女性である為、周囲の目が気になり接し方に困ってしまいます。

女性が過酷な現場で働くことの現実と、男性に囲まれて働く女性ならではの悩みや働き辛さなどが音道の視点では語られ、社会人なら共感できることも多い内容になっています。

犯人の動機や、犯人自身が語る「すべて自業自得」という後悔から、この物語の大きなテーマが「家族」であったことがわかります。

音道も滝沢も「家族」について苦い経験があります。

男女の違いを巧みな人物描写で描き出し、物語全体を通して「家族」とは何かを描いた警察小説です。

【炎上した男と噛み痕】

深夜の一階のファミリーレストランで男が突如炎上し、六階建てのビルの五階まで燃える事件が起きます。

男はそのまま焼死し、臨場した滝沢は燃え方が上半身に集中していることに疑問を持ち、普通の事件ではないと直感します。

捜査本部が立てられ、捜査が始まると炎上した男の素性が怪しいことが次々と分かります。

そして、発火の原因が薬品でその仕組みにはある程度の専門知識と、発火の方法から残酷な犯人像が浮かびます。

男には獣の噛み痕が残されていましたが、捜査開始当初は重要視されていませんでした。

事件発生から捜査の開始までは、警察の動きについて詳しく描写されており、リアリティある警察小説が好きな人は、引き込まれる導入部分となっています。

【気に入らない相棒】

音道も男が炎上した事件に捜査本部員として召集され、滝沢と組んで捜査をすることになります。

女性刑事と組まされることになるとは思っていなかった滝沢は、音道を嫌い徹底的に無視します。

音道もまた、滝沢の態度にうんざりしながらもそのような態度にはある程度慣れていたため、滝沢の容姿から「皇帝ペンギン」と心の中で呼び、滝沢に負けてなるものかと対抗して何でもないような涼しい態度を貫き通します。

滝沢に黙ってついていき、観察している様子は同じ仕事をする仲間とは思えません。

黙ってついてくる音道に、滝沢も音道を観察しながら苛立ちを募らせ、必要以上にきつい言葉を投げ掛けてしまいます。

お互い最小限の会話でしか仕事をしない為、二人は相手の様子から察して行動をするようになります。

音道は滝沢を気に入らないとしながらも、関係者への事情聴取のやり方を見て参考にしていたり、滝沢が何を考えているのか推測して仕事についていきます。

そこには弱いところなど見せられないという意地もありましたが、かえって音道自身の成長を促す結果となっていました。

滝沢は優しい言葉は掛けないものの、関係者への事情聴取にあたって音道の態度に問題があることを指摘します。

この言葉をきっかけにして、音道は滝沢に対して絶対に負けないと反骨精神を強く持ちます。

それは滝沢だけではなく、露骨に態度に出す男性全般に向けられていました。

音道が関係者に話を聞こうとすると、まったく協力をしなかった人が男性の滝沢が相手になると簡単に話し出します。

その逆もあり、滝沢では話を聞き出せなかった関係者が音道では話を聞くことが出来ます。

男女平等社会としながらも、どうしても越えられない男女の差による壁はあり、協力関係になれていない音道と滝沢にとっては、それがまた相手を腹立たしいと思う要因の一つになってしまいます。

【殺人を繰り返す獣】

炎上した男の捜査の途中で、大型の獣によって殺される事件が発生します。

噛み痕から、炎上した男に残されていた足の噛み痕と同じ可能性が浮上し、捜査は混乱していきます。

人を発火させる知的犯罪に、獣という知性を感じられない存在による事件の繋がりが見えてきません。

音道と滝沢は獣についての捜査を任されることになります。

捜査の本筋から外されたと考えた滝沢は音道に八つ当たりをしますが、音道の予想外の反応に驚きます。

滝沢は黙っていて何を考えているのかわからない音道に対して、気詰まりを感じていましたが、音道がはっきりと意志を表示をしたことで態度を変えることにします。

相変わらず音道を試すような、意地の悪い部分もありましたがこの態度の変化が、二人の関係を少しずつ変えていきます。

信じがたいことに獣の正体はオオカミである可能性が出てきて、事件はその異常性を増していきます。

オオカミについて調べている最中に噛み殺される第二の被害者が出てしまいます。

白昼堂々とした犯行にもかかわらず、証言が得られないことからオオカミが特殊な訓練を受けた暗殺者で、その身体能力を考えると人間よりも厄介で恐ろしい存在であることがわかります。

【全ては家族の為に】

ある家が炎上し、調べてみるとオオカミがいた痕跡があったことから、事件が大きく進展します。

焼け跡から助け出された人物を重要参考人として、音道と滝沢で話を聞き出します。

反発しながらも、滝沢は仕事ぶりから音道の能力を認め始めていて、重要参考人から話を聞き出すシーンでは二人で協力して話を聞き出しています。

オオカミは火事から逃げ出しており、その行方がわからなくなっていました。

音道は調べていくうちに、オオカミに対して特別な感情を抱くようになります。

過酷な職場で家庭を顧みることのできない警察のような仕事は、家庭が崩壊してしまいがちです。

家族の為にと働いているのに、その家族の心は離れて行ってしまいます。

滝沢は犯人の動機とその顛末に、妻に裏切られた経験から苦々しい思いとやり切れない思いが交差します。

犯人にとってオオカミは暗殺の道具以上の存在で、家族でした。

オオカミもまた犯人を信頼し、愛情を感じて忠誠を誓った特別な存在でした。

家族の為、オオカミは独りになっても標的を狙い続けます。

音道と滝沢はそれを止めるため追跡を開始します。

【真夜中の疾走】

音道はオートバイによる追跡任務が可能な「トカゲ」要員で、オオカミの追跡を命じられます。

相手は人間を噛み殺すオオカミで危険な相手です。

現れたオオカミを音道はバイクで追跡をします。後ろには援護として滝沢が車で追いかけます。

オオカミの通るルートは全て特別封鎖をして、一般人を巻き込まないようにします。

音道は目の前を疾走するオオカミの威厳ある姿に敬意と、その瞳に孤独を感じます。

言葉を発さないオオカミを、音道は只の獣としては見ることが出来ませんでした。

死んでほしくないという思いが強くなり、音道は駆け抜けるオオカミに必死でついていきます。

人を殺せるオオカミの追跡という危険な任務に、滝沢は心配します。

誰もいない道路をオオカミと疾走する音道は、二人だけの特別な走りに楽しさを感じます。

追跡劇は終わりを迎えますが、音道はオオカミの待ち受ける運命を朝日を浴びながら待ちます。

やがて音道のところまで響いた銃声は、音道に叫びだしたくなるような様々な感情が沸き起こし、長かったオオカミの追跡と捕獲任務の終わりを知らせました。

【最後に】

本格派を謳う警察小説のように、捜査の様子や警察組織内の独特なやりとりなど描写が細かくリアリティがあります。

警察組織の実態や事件の鍵を握るオオカミ、警察犬の訓練士の話などこの小説を書くためにどれほどの資料を集め、取材を重ねたのだろうかと思うほど読み応えのある内容です。

物語の全ての登場人物に対しての心理描写は胸に迫るものばかりで、虐められている女の子が登場する場面は、無邪気な悪意と言動にざらっとした嫌な感じを喚起させます。

自分たちにしか通じない、暗号のような悪口は残酷で子ども独特のいやらしさを表現しています。

音道と滝沢はお互いを嫌い、中々打ち解けませんが物語が進むにつれて少しずつ歩み寄ります。

異性だからこそやり辛い、考えていることがわからないといった壁はあるものの、事件解決に向けて走り回った相棒としてお互いに認めます。

事件解決に伴って滝沢は音道と別れますが、その別れはあっさりとしたもので、滝沢は再び男だけの職場に戻れてほっとします。

男女それぞれの視点で描く本作は、音道の女性が過酷な労働をすることの悩み、男性優位が根強い警察組織で奮闘することの葛藤を描く一方で、滝沢を代表として男性から見る女性が過酷な現場で働くことや、男性が多い職場で女性と組んで働くことのやり辛さを見事に描き切っています。

男女が同じ職場で働くことが当たり前になった世の中で、一度は相手が同性ではないことで働き辛いと思った経験があるのではないでしょうか。

全ての登場人物への作りこまれた人物造形と丁寧に描かれる心理描写は、物語全体に深みを与え、音道や滝沢、犯人とオオカミのそれぞれの孤独を描き出しています。

何という描写力を持った作家だろうと驚き、それぞれの登場人物が今ここにいて話したことがあるような、そんな錯覚を持ってしまうほど物語とその中で生きる人たちに夢中になり、最後まで一気に読んでしまいます。

警察小説が好きな人、細かな心理描写を読みたい人にお勧めです。

本作が好きな人は、同じく女性刑事が主人公の「ストロベリーナイト」(著:誉田 哲也)も楽しめると思います。

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