誰も見たことのない筋骨隆々の新しい水戸黄門様。
発売当初、そのように宣伝されているのを見て文庫化されたら読もうと決めていました。
併せて「天地明察」も読了しています。
【簡単なストーリー】
晩年の水戸光圀は、自身の独白に近い内容を「明窓浄机」として書き、これまでの日々に思いを馳せた。
幼少期に繰り返された父の命懸けのお試しと、世子になれないのではないかという不安、兄を家から追い出してしまったという罪悪感を抱いた日々。
泰平の世では持て余してしまうほどの力を、詩で天下を取ることを目指すことで発散していた青年期では、詩のためあらゆる学問を修め知識人と交流し、友と学を競い合っていく内に自身の出生の秘密を知り、存在が不義であることを悟る。
自身の不義を正すため、大義を行ったことが光圀の後の運命を決定付けた。
光圀の義への追究は、ある男の殺害へと帰結する。
全ては大義の為に。
著:冲方丁/角川文庫
どんな本?
時代劇ではお付きの者と全国各地を歩き、世直しをする好々爺として描かれることの多い水戸黄門様を主人公として、その生涯を描いた作品です。
一般に広くイメージされる水戸黄門様ではなく、著者の冲方丁さんによる新しい水戸黄門様を描いています。
タイトルが「光圀伝」となっている通り、描くのは世直しの好々爺の水戸黄門様ではなく水戸光圀の生涯です。
史実に近い水戸光圀の為、世直しの旅には出ません。代わりに若き日の悪所への出入りや、辻斬りエピソードが出てきます。
血気盛んな若者である光圀は、泰平の世ではその力を持て余して詩の創作へ情熱を傾けます。
戦で天下を取れないのであれば、詩で天下を取るとしてあらゆる学問を修め、学をもってして戦いに挑みます。
力ではなく、知識を武器として半端な教養の坊主を論破して倒していきますが、そこで生涯の友となる人物に出会い、光圀の義への追究が始まります。
あらゆる学問を修め義を求める光圀は、友と論争を交わし、先人たちが残した書から学び、様々な事柄について、何が正しいのかを明らかにしようとします。
水戸光圀の思想と内面の葛藤に焦点を当てて、幼少から晩年までの成長を描いています。
義とは何か、人が生き死ぬということはどういうことなのか、主題としている内容が哲学的で光圀が時には苦悩し、もがきながら生涯を通して答えを求め続けます。
晩年の光圀が、ある男を殺害するという衝撃の場面から物語が始まり、殺害の日までの日々を回想していきます。
【不義の子 鬱屈とした幼少期】
光圀は水戸徳川家の三男であり、世子にはなれないはずでした。
ところが、父親の頼房は長男の頼重が健在にもかかわらず、光圀を世継ぎとして定め二代目当主とします。
頼房は光圀に対して、死すらあり得るような危険な試練を与え続けます。
光圀は頼房の期待に応え、長男の頼重に対抗心を燃やして頼房の「お試し」をこなしていきます。
幼少の光圀にとって、世継ぎになれないかもしれないというのは大きな恐れで、頼房の「お試し」は兄弟間の競争意識を刺激しました。
病弱な頼重より、頑強な肉体を持ち溌溂とした光圀は世継ぎとして周囲の期待を集めていましたが、頼重の頭脳の明晰さや優しさに気づいた光圀は違和感を覚えます。
病気から快復した頼重がなぜ世継ぎになれないのか、幼いながら不自然に思いつつもそれを問い質すことはできませんでした。
そして、頼重は将軍から常陸下館の大名になることを命じられ家を出ていきます。
光圀は自分の存在が頼重を家から追い出してしまったのだと嘆き、なぜ自分が世継ぎになったのか思い悩み続けることになりました。
【紅蓮の男と樽の中のネズミ】
鬱屈とした思いを持ったまま、青年へと成長した光圀は偽名を使って同年代の若者と遊びまわります。
泰平の世では戦がないため、若者たちは有り余る力を持て余してしまいます。
光圀は読書をし詩や和歌を作ることで、その力を発散し詩で天下を取ることを考え始めます。
お互い本名と身分を隠していたものの、光圀が仲間と思った者たちは全員が世子とはなれなかった次男や三男坊でした。
長男でもないのに世継ぎになった光圀を、仲間たちは認めず光圀に辻斬りを強要します。
光圀は自身が世継ぎになったことの罪悪感と、世子になりたくてもなれなかったであろう仲間たちの嫉妬からくる嫌がらせに、改めて世継ぎになったことへの違和感を強めるのでした。
逃げ回る無宿人を殺すことが出来なかった光圀の代わりに、居合わせた宮本武蔵がとどめを刺します。
鮮やかな手際に、驚いた光圀は宮本武蔵に会いに行くことにします。
只者ではない気を放つ宮本武蔵に光圀は圧倒され、泰平の世では発揮されないであろう剣術の腕を見て、「戦国の世がくればいいと思っているんだろう」と安易な言葉を投げ掛けます。
それは戦へのあこがれと、血気盛んな若者特有の持て余した力の発散先を、暴力に求めていた光圀の本音でした。
宮本武蔵はその問いに頷き、樽の中にネズミを飼えば戦国の世のことがわかると告げます。
苦しまずに殺す方法を伝授し、詩で天下を取りたいのなら京人に認めてもらえと話して、宮本武蔵は光圀の前から去って行きます。
多大な影響を与えた宮本武蔵でしたが、真の教えは樽の中のネズミが教えてくれました。
教えられた通り、樽の中のネズミを入れて飼うと樽の中にはおぞましい地獄が顕現しました。
あまりのおぞましさに嫌悪し、ネズミを全て殺して浅はかな考えで地獄を望んだ自らを恥じます。
無宿人を大した意味もなく苦痛を与えた上で殺したことを心の底から後悔し、命を奪うということについて何もわかっていない若造であったと心を改めるのでした。
紅蓮の男として、辻斬りの現場から登場した宮本武蔵は多くの作品で描かれている宮本武蔵像とは少し違った形で描かれています。
小説の「宮本武蔵」(著 司馬遼太郎)や漫画「バガボンド」(作 井上雄彦)、NHKの大河ドラマなど多くの媒体で剣の道を追求した最強の剣客として描かれますが、本作では晩年の宮本武蔵の日常が垣間見えるようになっていて、得体のしれない老人といった風に描写されています。
変わった老人だと思って油断していると、次の瞬間には鼻先に刀の切っ先が突き付けられているような、空気を吸うような自然さで殺しを行える、剣の道を究め生と死の境地に達した恐ろしい人物として光圀の目には映ります。
「光圀伝」全体としての宮本武蔵の登場場面は少ないのですが、光圀に与えた影響は大きく晩年の殺人は宮本武蔵から教わった殺しの方法で行います。
宮本武蔵が口にした「いっそ殺してしまいたくなる」という言葉の意味を、後になって光圀は生と死について宮本武蔵と同じ境地に至り、理解することになります。
【生涯の友との出会い 大義成就へ】
不義の存在であることに悩みながら、光圀は居酒屋で遊んでばかりで修行をしない坊主を論破して、その界隈で有名になっていました。
いい気になっていた光圀でしたが、そこに論破できない坊主の格好をした隻眼の男に出会います。
知識と教養、思考の深さなどあらゆる面で光圀を凌駕していた男は、読耕斎と名乗り以後生涯の友となりました。
光圀は読耕斎に、世継ぎになるべきではない不義の存在であることを打ち明けます。
そして、この不義を正すための審判を読耕斎に任せます。
光圀はねじれてしまった水戸徳川家の世継ぎ問題を、読耕斎に相談しついに不義を正す方法を見つけ出します。
大義成就には大きな困難と、犠牲が必要でした。
義を全うするとはどういうことなのか、苦悩しながら光圀はついにやり遂げ、大義成就は周囲の人間に大きな影響を与えました。
光圀の義の実行は周囲に評価されましたが、この大義成就が晩年になって思いもよらぬ事態を引き起こします。
光圀は多くの人の死を見送り続け、その中には読耕斎も含まれていました。
読耕斎亡き後も、時折自らの行いについて義であるかどうか語りかけます。
光圀が藩主になる頃には、光圀の知識や学問に対等に渡り合える人間は数少なくなっていました。
【光圀伝と天地明察】
藩主になった光圀は、次々と新しい藩政を行いこれまでの常識にとらわれない新しい制度を作ろうとします。
その根底には常に義であるかどうか、がありました。
ところが、光圀や読耕斎ほどの知力を備え、幅広く学問を修め思考力を鍛えた人間など早々いません。
どんなに意義のある新しい政治も、理解されなければ意味がありません。
先取りしすぎた政策の数々は、教育が追い付かないことから断念せざる負えなくなり、光圀の理想は次世代へと託されることとなりました。
藩主として思うようにいかない現実に歯がゆい思いをしていたころ、暦の改暦事業について保科正之からある人物を吟味してほしいと頼まれます。
この人物こそが「天地明察」の主人公の安井算哲です。
光圀の視点から会談の様子が描かれているので、無謀ともいえる大願を執念深く語る若者として算哲の様子が描写されます。
同じ場面の「天地明察」の算哲の視点では、光圀の若い頃の辻斬りの噂を聞いていた為、内心かなり怯えている様子が描かれます。
光圀が鬼気迫ると感じるほどの熱意をもって、星について語っていたことの自覚がありません。
算哲は、光圀が同じような大願を抱いた同志として親しみを持たれたとは思わず、光圀という怖い存在が悲願達成に絡んできてしまったと思うばかりでした。
安井算哲という若者の存在と保科正之の人材抜擢の目利きに、刺激を受けた光圀は後進の育成と藩政に益々力を入れるようになります。
光圀が算哲の援助をすることになった為、その後も「光圀伝」では光圀視点の算哲の大願成就の様子が描かれます。
「天地明察」は実写映画化もしましたので、時代劇小説が苦手な方は映画を先に見てから読むようにすれば、読みやすいと思います。
【義を見失う幕府】
光圀はその知識の幅広さと問題に対しての思考力が高く評価され、幕閣から法律や義について相談を受けるようになっていました。
更に光圀の詩や和歌の技量は相当なもので、その為朝廷のやんごとなき人々との人脈があり、光圀は幕府にとって貴重な人材となっていました。
水戸徳川家の世継ぎ問題を、大義を掲げて是正してみせた光圀はその行いから信頼と尊敬を集めていました。
まともな人物であれば、光圀は優秀な人材として重用しますが五代将軍綱吉が擁立されたことで、光圀を取り巻く環境が変わります。
光圀からしてみれば、綱吉は将軍としての器ではなく、周囲の人間の度を越した行いに呆れるばかりで、次第に綱吉とは距離を置くようになります。
綱吉は周囲から敬われ、人望があり優秀な頭脳の持ち主である光圀が気に入りません。
光圀は綱吉を哀れに思いながらも、その関心は愚かな将軍でも幕府という組織は維持されるかどうかにありました。
綱吉に取り入ろうと動く者たちを横目に、大局的視点で光圀の死後も幕府が安泰かどうかを見定めていました。
しかし、こうした大局的な見方をできるものは少なく、綱吉の行動とその愚かな政策が、ある男に光圀も想定していなかった大義を抱かせてしまいます。
その大義成就を阻止するため、光圀は男を殺すことを決めます。
【最後に】
光圀の晩年の殺害は、光圀と男の間にしか理解できない大義によるものでした。
男の悲壮たる大義成就への決意に、光圀はその命を奪うことで応えます。
光圀と男の抱いた大義の違いは、樽の中の地獄を見たかどうかが分かれ目だったのかもしれません。
男の語る大義を聞いて、光圀は樽の中の地獄を外に出してはいけないと直感します。
男の大義を阻止した光圀でしたが、これからの世の中で男の大義が成就される日が来ることは想像できませんでした。
光圀が様々な事柄を次世代へ託したように、男の大義への悲願もまたひっそりと次世代へと受け継がれていき、しかるべき時期に花開いたのかもしれません。
光圀が大義成就の際に口にしていたある言葉を聞き、成し遂げた大義の美しさと正しさに心奪われた男は、大義に執着し少しずつ狂っていきました。
男の口にした悲願は、その後の歴史を知る読者にとって驚きの内容であり、ミステリー小説のようにその悲願の内容については伏線が張られています。
有名な歴史的事件でもある為、勘の良い方は男の抱いた大義の内容を物語の進行より早く察することが出来るかもしれません。
光圀が生涯を通して義とは何かを問いかけ、人の生き死にや親子の情といった様々な事柄に悩み、悟り、そして答えを得る哲学の要素が強い作品となっています。
哲学が好きな方、世直しの旅に出ない水戸黄門様に興味がある方は楽しめる作品だと思います。