ある有名企業の、当時の女性社長がテレビ番組で部下に薦めたい一冊として「フェルマーの最終定理」を挙げていました。
困難に挑戦する部下に薦めたいと話しているのを見て、ずっとこの本のことが頭にありました。
本屋さんで見つけたら絶対に購入すると決めていた本です。
【簡単な内容】
アンドリュー・ワイルズが、三六十年もの間誰も証明できなかったフェルマーの最終定理を完全証明した。
その知らせは数学界に衝撃を与えた。
知らせを受けて数学者たちを取材し、フェルマーの最終定理を完全証明した偉大な功績をドキュメンタリーとして、BBCが「ホライズン フェルマーの最終定理」を放送。国内外の多数の賞を受賞した。
番組制作にかかわったサイモン・シンは、その過程で得た内容をもとに「フェルマーの最終定理」という題名で一冊の本にまとめた。
フェルマーの最終定理の完全証明に至るまでには、数学者たちの完全な真理への追究の歴史があった。
本書は現代に至るまでの数学者たちの挑戦の記録である。
著:サイモン・シン 訳:青木薫/新潮文庫
【どんな本?】
フェルマーの最終定理を完全証明した、アンドリュー・ワイルズについて書くためにはまずフェルマーの最終定理とは一体何かを書かなければなりません。
テレビ番組制作が元になっている為、数学が義務教育の一科目に過ぎなかった人でもわかるように、数学の歴史と数学者の拘る証明について丁寧に解説されています。
高校の数学にも出てこなかったような内容にも触れていますが、数学を専門として研究している人向けの専門書ではないため、とても読みやすくなっています。
フェルマーの最終定理の完全証明に関わった数学者たちについて詳しく書くことで、数学の歴史とフェルマーの最終定理がいかに困難で壮大な謎であったのか、そしてそれを完全証明したアンドリュー・ワイルズの功績の偉大さがわかる内容となっています。
数学者と関わることのない人たちにとって、数学者が何を考え日々研究をしているのか、数学界を覗き見ることのできる興味深い本となっています。
【数学の証明と科学の証明】
証明するという共通の言葉は、数学と科学ではその根本的な意味が異なります。
数学では証明とは絶対の真理であり、証明されたことは永遠に覆ることはありません。
しかし、科学はそうではありません。
どれだけ実験を重ねて同じ結果を得ても、次の実験では結果が変わってしまうかもしれない。
当たり前のように受け入れている、科学が証明した数々の現象は実は不確かなのです。
科学界では日々の研究により、今日まで正しいとされていたことが新しい発見によって、その常識が変わるということは珍しくないのです。
数学者が証明した定理ほど強力で、保証されたものはありません。
数学者は安心して証明された定理を使用して、また別の証明に取り掛かるのです。
【フェルマーが残した謎】
数学が学問として重んじられるのには時間がかかりました。
その為、数学者たちは自己資金で研究をせざる負えない時期が長く続きました。
本業の傍らで数学を研究するものも多く、そんなアマチュアの中にピエール・ド・フェルマーがいました。
フェルマーは数学について天才的ではありましたが、秘密主義で人を困らせるのが好きという困った性格が、数学者たちを苛立たせることがしばしばありました。
証明問題を送り付けてきたかと思えば、その答えを示さないという問題の解答を明かさない行為は、数学者の気質から考えて悪質な悪戯でした。
フェルマーは「算術」の問題8の余白に有名な言葉を書き残したまま、亡くなってしまいます。
私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。(118P/フェルマーの最終定理 新潮文庫)
この余白のメモがフェルマーの最終定理として、以後三百六十年間にわたり数学者たちを悩ませることになるのです。
フェルマーの性格からして、彼が本当に証明を持っていたのか怪しむ声がある中、実際に証明しようと試みると、誰一人として驚くべき証明が何かはわかりませんでした。
この余白のメモはフェルマーが最後に残した厄介な悪戯であり、証明されていない命題があれば挑戦せずにはいられない数学者を刺激し、嘲笑うものでした。
フェルマーが残した謎は、その謎を解こうとする数学者たちが産んだ副産物によって、数学の発展に貢献することになるのでした。
【数学者たちの苦難】
数学の歴史は古代ギリシャに遡り、ピュタゴラスが数を計算の道具として扱うのではなく、数を研究することで数の世界の真理が明らかになるとして、ピュタゴラス教団を設立したことから始まりました。
数を追求することが一体何の役に立つのか、数を道具として使用する大多数の人たちにとっては理解できませんでした。
エウクレイデスは数学が何の役に立つのかと質問した生徒に、お金を与えて学校から追い出してしまいます。
紀元前の当時の数学者たちは利益を得るための数学ではなく、あくまで真理の追究に価値を置いて研究をしていたからです。
数学者たちの知的財産である書物は、異端者の書物だとして燃やされ数学者たちも殺されてしまう時代もありました。
証明された定理も多くの書物とともに失われ、難を逃れた書物と数学者が再び数学を復興しなければなりませんでした。
数学者の中でも、特に女性は近代まで差別を受けていたと本書では指摘しています。
女性が数学を学ぶには多くの困難があり、そのような環境の中でも優秀な女性数学者が度々数学史に現れ、中でもソフィー・ジェルマンはフェルマーの最終定理の研究に革命を起こしました。
【歴代の数学者たちの証明の失敗】
アンドリュー・ワイルズはフェルマーの最終定理に挑むにあたって、歴代の数学者たちが挑戦した内容を精査し、学ぶことから始めました。
アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理に挑戦するころになると、フェルマーの最終定理を証明しようとして、かえって完全に証明できないという説を強く補強してしまっている状態でした。
多くの数学者たちの長きにわたる証明の失敗が、フェルマーの最終定理の証明をより難解なものとしていたのです。
証明の望みが薄いものにプロの数学者たちは時間をかけることを止め、数学の基礎に立ち返っていました。
一方で、十九世紀後半は一般人に数学パズルやクイズが流行し、賞金の懸けられたフェルマーの最終定理にアマチュア数学者が挑戦しては失敗を繰り返していました。
こうした一般人の数学パズルの流行を利用して、映画「グレイテストショーマン」のモデルになったP・Tバーナムは宣伝目的のパズルを作らせていました。
【不可能への孤独な挑戦】
通常、数学者は自らの研究を秘匿することはありません。
数学の証明は完全でなければならない為、自分の証明に誤りがないかどうか検証してもらう必要があるからです。
また、挑戦している問題について使用できる定理はないかどうか最新の研究を知る必要があり、活発な情報交換と協力は現代の数学者にとって当たり前のことでした。
しかし、アンドリュー・ワイルズは自宅の屋根裏に引きこもって、周囲にフェルマーの最終定理に挑戦していることを隠し、証明に挑みます。
古代から最新のありとあらゆる定理と証明テクニックを駆使し、ついにフェルマーの最終定理の完全証明を成し遂げました。
この証明には日本人の「谷山=志村予想」と「岩澤理論」が大きく貢献していました。
アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理に挑戦して、八年もの月日が経っていました。
【美しくない証明 四色問題】
アンドリュー・ワイルズの証明は、紙とペンによるものでコンピューターには頼らないものでした。
いかなる地図も同じ色が隣り合わないで塗りつぶすには、四色あれば良いとした「四色問題」は、コンピューターを駆使した証明でその方法に数学者たちの間で賛否が分かれています。
映画「容疑者Xの献身」では数学者の石神(堤真一)が、天井に四色問題を展開しているシーンがあります。
石神もまた、コンピューターによる証明は美しくないとして証明方法を探っていました。
紙とペンから、コンピューターに代わることで今まで証明不可能だと思われていた問題が解決されていくことでしょう。
四色問題の証明の時点で、コンピューターは人間の知力を追い抜く働きをしました。
コンピューターが人間を超えるとき、人間はコンピューターの証明を理解できない日が来るのかもしれません。
【最後に】
数学のテストで何気なく使用していた公式や定理は、世界中の数学者たちの知識の集大成であり、そこに至るまでの数学者たちの挑戦と多くの犠牲がありました。
全ての数学の公式と定理は絶対の真理であり、その意味を理解することで数学の見方が変わります。
数学を勉強することに意味を見出せない人や数学が嫌いな人は、一度本書を読んで学校が教えてくれる数学とは違うもう一つの数学に触れてほしいと思います。
アンドリュー・ワイルズによってフェルマーの最終定理の完全証明されたものの、一つ大きな問題が残りました。
それは、ピエール・ド・フェルマーの証明が一体どういうものだったのかということです。
アンドリュー・ワイルズの方法はフェルマーの生きた時代では、確立されていなかった方法です。
果たしてフェルマーは本当に証明に成功したのでしょうか。
数学者を三百六十年間もの間悩ませ、アンドリュー・ワイルズが証明しても謎を残すフェルマーは本当に厄介な天才です。