王を選んだ後の麒麟の在り方に思い悩む様を描いた(冬栄)、祥瓊追放後の芳国を描いた(乗月)、即位前の陽子と楽俊の交流を描いた(書簡)、先王の悪政を糾弾し正しい政治を行ったはずが破滅していく様を描いた(華胥) 傾き始めた国でしか会わない怪しげな二人の男を描いた(帰山)の5つの国を題材にした短編集/華胥の幽夢 十二国記 小野不由美

短編集の「華胥の幽夢」は5つの国を題材にした5つの物語で、本編と深く関わりがあります。

特に泰麒の物語「冬栄」は「風の海 迷宮の岸」と「黄昏の岸 暁の天」の間の物語となり、「黄昏の岸 暁の天」と「白銀の墟 玄の月」で重要な戴国側の登場人物が登場します。

阿選や正頼(せいらい)などの人となりがわかるような、反乱が起きる前の穏やかで恐らく泰麒にとって一番幸せな時期の戴国の様子が描写されます。

先に「黄昏の岸 暁の天」を読んでいた場合、突然出てきたように思える阿選や正頼などの家臣たちですが、「冬栄」を読むことでどんな人物なのかがわかりますので、「白銀の墟 玄の月」前までには必ず読んでおいた方が良いです。

泰麒が「白銀の墟 玄の月」で正頼に対して強い想いを持つ理由が「冬栄」でわかります。

【簡単なストーリー】

王を選んだ後の麒麟は何をすればいいのか、思い悩む泰麒に驍宗は自分の代わりに特使として漣国に行って欲しいと大役を任せる。

新しい王朝の為に日々忙しくしている驍宗や周囲の人々を見て、泰麒は自分がお荷物になっているのではないか、だから漣に出されてしまうのではないかと不安な気持ちを抱えたまま、漣国へ向かう。

気候も王宮の様子も何もかもが違う漣国で、泰麒は廉王から王と麒麟の在り方について新しい考え方を知る(冬栄)

峯王仲韃と峯麟の首を落とし、祥瓊を追放した恵州侯月渓は王ではないとして玉座に座ることを拒否し、恵州へ戻ろうとしていた。

次の王が選ばれるまで玉座に月渓が座ることを望む官吏たちは、去って行こうとする月渓を説得するも聞き入れて貰えず、取りまとめる者のいない王宮のこれからについて思い悩むところへ、慶国の景王から月渓に宛てた親書携えた使者がやってくる。

受け取る道理がないとして親書を拒否する月渓だが、内容が追放した祥瓊についてだと聞かされ驚く。

過酷すぎる刑罰で多くの民を苦しませ、殺していった仲韃は国中の民から恨まれていたが、

月渓にとって仲韃は敬愛する主君だった。

親書を前にして、月渓は自らの罪とかつての主君への想いに挟まれ苦悩する(乗月)

陽子と楽俊は話しかけられた言葉を覚えて相手に伝えることが出来る特別な鳥を利用して、

慶の王宮と雁の大学の学寮を往復させてお互いの近況を教え合っていた。

陽子も楽俊も相手には心配事などないように伝えているが、陽子は官吏から相手にされず孤立し、楽俊は半獣であることで差別を受けていた(書簡)

先王の悪政を糾弾し、王が倒れたのちは采麟より王の選定を受け新しい采王となった砥尚(ししょう)の王朝が、素晴らしいものであると誰もが疑わなかった。

ところが、采麟は明らかに失道の症状が出ており、期待されていた砥尚の王朝はわずか30年も続かず、才国は確実に沈み始めていた。

民に過酷な刑罰を与えてなどいないし、砥尚自身が遊蕩に耽ってもおらず、登極当時のまま誠心誠意尽くしているのにも関わらずに沈み始めた才国の現実に、臣下たちは頭を抱える。

一体何が間違っていたのか、何を正せばいいのか誰もが分からない中、砥尚だけは何かを確信しており、過ちへと突き進むことをやめようとはしない砥尚を懸念していたところに、王宮内で殺人が起きてしまう(華胥)

旅をしていてこの男と出会うのは、いつだって傾き始めた国だった。

柳が危ないという噂を聞きつけ、偵察に来た利広(りこう)はまたもや風漢(ふうかん)と名乗る男と出会う。

何度も会えば利広も風漢も互いの正体を察することが出来るが、敢えて問い質さないでいる。

噂通り沈み始めている柳について情報交換をする二人は、やがて見届けてきた国の生き死について議論を始めるが、話は奏と雁の最後についてにまで及ぶ(帰山)

著:小野不由美/新潮文庫

【王を選んだ後の麒麟の役目は?(冬栄)】

「風の海 迷宮の岸」後の泰麒は、王を選んだ後の麒麟は一体何をすればいいのかわからず思い悩んでいます。

まだ幼い泰麒には教育係として正頼が付いていて、日々多くのことを学んではいるものの、泰麒の胸の内には焦燥感が募ります。

泰麒は驍宗や戴国の為に何も出来ず、周囲から丁寧に扱われ日々を安穏と過ごしていることに罪悪感を持っています。

驍宗から漣国へと特使として訪問してほしいという突然のお願いには、邪魔だから追い出されるのだと感じるほど、泰麒は王を選んだ後の麒麟の役目について答えを見つけられないでいます。

不安と焦燥感を持ったまま泰麒は漣国を訪れますが、戴国とは違う温暖な気候と無警戒すぎる王宮の様子に、泰麒を含め臣下たちも戸惑いを隠せません。

廉王鴨世卓(おうせいたく)に至っては王宮に畑を作り、自身が農夫のように世話をしている有様で、戴国とはあまりにも違いすぎる王の様子に驚きます。

世卓は泰麒に王と麒麟の関係は、難しいものではなくただ見守ればいいのだと諭します。

王を選ぶだけではなく、王を選んだ後も麒麟の役割は重要です。

陽子の場合は景麒の方が政務のことに詳しいため景麒が直接補佐をしていますが、泰麒の場合は驍宗の方が詳しいため、景麒のような補佐が出来ません。

王と麒麟はお互いを補い合うようになっていて、幼い泰麒の手助けなど必要のない王として完成されているかのように見える驍宗でも、性急すぎると臣下から言われてしまうことがあります。

驍宗は自身の欠点を自覚しており、泰麒にはその欠点を補ってくれることを求めています。

陽子と泰麒の組み合わせだった場合、どちらも政務に疎くて十二国の世界の常識がわからないのでは、資質はあっても上手くいかないのではないでしょうか。

正頼と泰麒の祖父と孫のようなやりとりや、漣の王宮で戸惑う家臣たちとは対照的に身分や規則にまだ馴染みのない泰麒の自由な行動に大慌てする家臣たちなど、微笑ましい場面が多くこの頃の泰麒の幸せそうな様子が、この後訪れる苦難を思うと切なくなります。

「冬栄」は「白銀の墟 玄の月」に繋がる伏線があり、泰麒が正頼のおかげで王宮の裏道に詳しくなっていることや、雰囲気が似ていても驍宗には覇気を感じるのに阿選には何も感じないこと、驍宗から直接戴国の冬が厳しいことを教えられていながら、泰麒自身は漣国に行っていた為戴国の冬の厳しさ過酷さを体験していないことなどが、「白銀の墟 玄の月」への伏線となっています。

【憎悪と敬愛の狭間(乗月)】

恵州侯月渓は王不在の王宮の状態が落ち着くと、玉座に座ることなくそのまま恵州へと戻ろうとしていました。

先頭に立って指揮をし、仲韃を討った月渓がこのまま玉座に座り新しい王と麒麟が現れるまで仮王になってくれると考えていた官吏たちは慌てます。

どんなに説得を試みても月渓の意志は固く、官吏たちの落胆と失望は大きくなっていました。

ようやく落ち着いたのに月渓が仮王になってくれなければ誰も納得しないと訴えますが、月渓は自分が玉座に座ることは簒奪だとして、玉座に座るのは天命を受けた新王に他ならないとして拒否します。

そこへやって来たのが、景王陽子からの親書を携えた青辛(※せいしん 桓魋の姓名)で、突然の使者に困惑する月渓はその内容を知り更に驚きます。

追放した祥瓊が気がかりだった月渓は芳国の国主としての受け取りは拒否するものの、月渓の賓客として青辛を迎え入れ、詳しく話を聞くことにします。

月渓と祥瓊は己の罪にどう向き合うか、ということが共通で描かれていて、「風の万里 黎明の空」の祥瓊視点で描写されていた月渓は、過酷すぎる刑罰で虐殺していった王を討ち取った英雄のようで、多くの民の支持を受けていた月渓には大義があり、王を討ち取ったことは正当で罪などないかのようでした。

唯一その罪を糾弾していたのが祥瓊でしたが、峯王仲韃の娘の言葉に耳を傾ける者などいません。

祥瓊から「簒奪者」と罵られて平然としていたように見えた月渓が、誰よりも深く自身の罪を自覚し、後悔の念すら抱いていたことが青辛との対話で明らかにされます。

慶国の青辛からみても峯王仲韃は月渓たちに討たれても仕方のない悪逆非道の王でしたが、臣下として仕えていた月渓や官吏たちにとっては、峯王仲韃は残酷なばかりの王ではなかったことが語られます。

祥瓊が己の罪を自覚し前に進んだように、その行いを称賛されようと罪は罪として受け入れて月渓もまた前に進むことにします。

王と麒麟とは異なった、主公と臣下の強い結びつきは敬愛と愛憎入り交じった複雑なもので、

この特別な関係性は「白銀の墟 玄の月」でより深く描かれることになります。

【友を想い合う(書簡)】

女王による短命な玉座が続いたことで、慶国の官吏たちは腐敗しており、陽子が新しい女王になると小馬鹿にして全く相手にしません。

若くて女王で十二国の常識がわからない胎果など、長い間王宮を思いのまま牛耳ってきた官吏たちにとってこれほど御しやすい存在はなく、陽子は侮られていることを自覚しながらも対抗することが出来ないでいました。

孤立を深める陽子の良い気分転換になっているのが、友人の楽俊との言葉を覚えて相手に伝える特別な鳥を介した文通のようなやり取りです。

「書簡」は言葉を覚えて伝える鳥が覚えた相手への言葉がそのまま本文になっていて、陽子が楽俊に語りかける言葉と楽俊が陽子に語りかける言葉が、まるで目の前に二人がいて話しかけられているように感じるようになっています。

陽子と楽俊は近況を伝えあいますが、辛い状況であることは隠して良いことばかり伝えるようにしています。

陽子も楽俊もお互い順風満帆とはいかないことは察していますが、鳥に託す言葉は「色々あるけどうまくやっているよ」というようなもので、陽子はそれを隠している訳でも見栄を張っている訳でもない、ちょっとした背伸びと表現します。

大変な状況であることがわかる相手からの同情や心配を求める言葉ではなく「大丈夫だ」という言葉は、陽子が表現する通り「自分も頑張ろう、背筋をしゃんと伸ばさなければ」という気持ちにさせてくれて、前向きになることが出来ます。

どんな状況でも前向きな言葉や態度をすることが出来る人の周囲には、同じように前向きで明るい人が多い理由がわかるような気がしました。

励ましの言葉をかけることだけが相手を思いやることではないのだと改めて気づかされる短編です。

陽子と楽俊の「月の影 影の海」のその後の様子がよくわかる内容ですので、二人が好きな人はぜひ読んだ方が良いです。

【理想の国を夢見て(華胥)】

これまで十二国シリーズで描かれてきた、天命が尽きる国には明確な理由がありました。

巧国は胎果の王が生まれることを阻止するため、慶国の女王に選定されていた陽子を襲撃し偽王を支援するという愚かな行いをし、塙王は天命が尽きかけていた自身の王朝に止めを刺します。

塙麟は失道し、巧国は傾き塙王は破滅しました。

祥瓊の父親の峯王仲韃は過酷な刑罰で多くの民を虐殺したことで、恵州侯月渓たちに首を落とされ仲韃の王朝は終わってしまいます。

戴国の先代の王、驕王(きょうおう)は豪奢で華美を好む趣向が戴国の国庫を傾かせてしまい、ついには麒麟を病ませてしまって終わりを迎えます。

慶国の先代の女王は政務を放棄した上で景麒に執着し、国中の女性を追放するなどして景麒を失道させました。

そのようなことをすれば、命運が尽きるのも当然といった事柄ばかりですが、才国の采王砥尚は他の国々とは様子が違いました。

采麟は明らかに失道の病にかかっており、砥尚の天命が尽きかけていることを示していましたが、周囲の家臣たちはなぜ采麟が失道の病になってしまったのかがわからなかったのです。

先代の悪政を批判し、清廉潔白で誠実に才国の為に尽くす砥尚のどこが悪いのか、諫めるべき点が家臣たちにはわからず、采麟の失道は家臣たちを動揺させます。

「華胥」では失道の病にかかった麒麟がどのようになるのか、痛々しい様子が描かれています。

目の前で自身の政治の失敗を麒麟の失道という形で突きつけられるのは、あまりにも重く受け入れがたい現実です。

大司徒の朱夏(しゅか)は、未来が明るく輝いているように思えた砥尚の登極当時から今までを思い起こしながら、砥尚の過ちは一体何だったのか、考えを巡らせますが決定的な理由が見当たりません。

何かが間違っていることは確かなのに、砥尚はなぜか状況を打開できる確信を持っていて、過ちの原因を見つけ、正そうとする様子がないことを朱夏は不審に思います。

「華胥」では正しい行いが正しいとは限らない、という世の中の不条理を描いています。

家臣たちに諫めるべき点がわからなかったように、基本的に砥尚がしようとしていたことは客観的に正しく、間違いではありませんでした。

朱夏は砥尚が行おうとしたことは間違ってはいなかったと思い返しながらも、砥尚の「正しい行い」は裏目に出てしまい、それを修正できないまま采麟失道という現在に繋がってしまったと分析します。

砥尚は不自然なほど頑に自身の過ちを認めようとはせず、状況は良くならないままついには王宮内で殺人が起きてしまいます。

砥尚のように優秀で道理を弁え正しい行いをすることが出来る傑物は一握りで、その他大多数は平凡な人間たちであることが、砥尚には理解できていないようでした。

砥尚と比べて能力が劣り見栄えもしないと自身を評価する弟の馴行(じゅんこう)は、兄の砥尚の目指す国が人間の手で整えられた美しい庭園のように、見苦しさが存在することを許さないような、そんな息苦しい国のように思えたと語ります。

砥尚の目指す国は、一つの罪も許さなかった芳国の仲韃が目指していた「法を犯す悪人は存在してはならない」と似ています。

二人は自身の清廉潔白さと能力の高さを当たり前のように他者にも求めていた、似た者同士でしたが、仲韃は理想の国と人を実現するために暴走した一方で、砥尚は別の道を突き進みました。

砥尚の辿った結末は仲韃が辿らなかったもう一つの結果で、仲韃が砥尚と同じ道を選んでいれば月渓の苦悩はまた違ったものになったのではないでしょうか。

「華胥」は砥尚の過ちを認めようとしない不自然な態度と王宮内で起きてしまった殺人事件の二つの軸による、ミステリー小説のような雰囲気があります。

作中で重要な意味を持つ「責難は成事にあらず」という言葉は、批評と非難と中傷の区別がつかなくなり、過剰な言葉が誰かを必要以上に追い詰めてしまうことがある現代社会で、決して忘れてはいけない真理だと思います。

「華胥」の最後は先に「風の万里 黎明の空」を読んでいると「あの人」の正体に驚きますので、「風の万里 黎明の空」読了しているのであれば「華胥」はぜひ読んで欲しい短編です。

【国の生と死(帰山)】

柳国が危ないという噂を聞いて利広は偵察にやってきますが、そこで風漢と名乗る男と出会います。

利広は普通の人間であれば死んでいるはずの時間が経過しているのにもかかわらず、天命が尽きかけている国で頻繁に出会う、風漢という男の素性について察しがついているものの、あえてその正体を問い質すことはしません。

風漢もまた利広の素性に察しがついていますが、利広に素性は問うことはせず気の遠くなるような年月を生きている者同士、古い友人のように付き合います。

先に「図南の翼」を読んでいると利広の正体が分かっている状態で読み進めることが出来ますが、「帰山」では風漢が延王の尚隆で、国の生死についての議論で雁国と奏国が中心になることから、利広は奏国の王宮に関係する人物であることしかわからないようになっています。

「帰山」の最後でようやく利広の正体が分かるのですが、恐らく最も多くの国の生き死にを見届けてきたと思われる利広の柳国についての考察は、非常に興味深いものとなっています。

風漢と利広はお互いに偵察してきた柳国について情報を交換しながら、必ず訪れる国の死についての議論へと変わり、利広は延王の最後なら想像できると話します。

利広の話した延王の最後は、「東の海神 西の滄海」で延麒六太が尚隆と誓約する前に感じていた「雁国を滅ぼす」という直感と同じで、利広の話を風漢は面白がって聞きます。

利広が感じている天意を得た王が道を踏み外すことの不可解さは、「黄昏の岸 黎明の空」で李斎が感じた天帝への不信感と繋がります。

天の存在がまるで普通の人間のようで、天は間違いを犯さないのかと疑問を感じた李斎と、天意があったはずなのになぜか道を踏み外す王が後を絶たないことは、天は絶対ではないことを裏付けています。

「帰山」では国の生き死についてが主題となっていますが、柳国についての謎がより深く描かれていて、今後の伏線になっているのではないかと思われます。

【最後に】

「帰山」ではより詳細に柳国について描かれる為、柳国についての謎がより深まります。

柳国については「風の万里 黎明の空」にて、延麒六太に依頼された楽俊が柳国について偵察をしています。

その際に楽俊も柳国が沈み始めていると判断しています。

「帰山」では利広がこれまでの経験から、柳国の沈み方は不自然で不気味なものを感じています。

法治国家として名高い柳国は、その完璧な仕組みから王が寝ていても国は運営されていくと言われるほどで、だからこそ柳国が沈み始めていることに利広は不気味なものを感じているのですが、この不気味さは戴国の現状と似ています。

戴国の異常な状況については「白銀の墟 玄の月」で解明されるのですが、柳国については謎のままです。

劉王はすでに玉座にいないのではないか、という憶測が正しかった場合、柳国は戴国と同じで王が不在のまま国が存続している異常な状態ということになります。

「帰山」の最後でとある人物が「妖魔の方に何か異変があるのでは?」と発言しており、「妖魔の方に」という点が、「白銀の墟 玄の月」への伏線となっています。

柳国についてはシリーズを通して度々触れられており、短編集「丕諸の鳥」では「落照の獄」で柳国の官吏が主人公の短編まで用意されています。

「白銀の墟 玄の月」で戴国については一区切りがつきましたが、柳国については今後描かれることはあるのでしょうか。

柳国については気になる描写が多いため、本編として描かれる日がくればいいなと思っています。

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