美しいラ音を求めて、僕はこの森を歩き続ける/羊と鋼の森 宮下奈都

第13回本屋大賞受賞作品として話題となり、山﨑賢人さん主演で映画化されました。

ピアノの調律師という、珍しい職業を扱った作品であることに興味を惹かれて文庫化したら読もうと決めていた作品です。

【簡単なストーリー】

17歳の高校生の外村(とむら)は、これといったこだわりがなく何かに熱中したこともない、ぼんやりとした青年だった。

ある日、教師から来客対応を頼まれて迎えに行くと、楽器店から来たという板鳥という男性を体育館へと案内する。

体育館のピアノに用があるらしい板鳥を体育館へ連れて行き、案内が終わってすぐに帰ろうとすると背後からピアノの音が鳴り響いた。

その音に惹かれて思わず振り返り、ピアノの側に近づいて板鳥が見たこともない道具を使ってピアノの音色を変えていくのを、外村は黙って見続けた。

鳴り響く音から森の気配や匂いを感じ取った外村は、調律という世界を知りそこに引き込まれていく。

調律師になると決めた外村は、高校卒業後に調律師になる為の専門の学校へと進学し板鳥の働く江藤楽器店へと就職する。

ピアノは弾けず、クラシック音楽をほとんど聞いたことがなく絶対音感もない外村は、ひたむきに調律とピアノに向き合い、調律師として成長していく。

美しいラ音を求めて、僕はこの森を歩き続ける。

著:宮下奈都/文春文庫

どんな本?

本書は最初から最後まで外村の視点で書かれた一人称小説です。

視点が変わらないので、本を読むのが苦手な人も読みやすい作品だと思います。

本屋大賞受賞作品は読みやすい作品が多く、映画化することが多いので映画を見てから原作小説を読むという風にすれば、読書に苦手意識がある人も読みやすくなるかと思います。

文庫版になると意外にページ数が多くないことが分かり、すぐ読み終わってしまうと残念に思ったのですが、密度の濃い作品の為読み終わった後は分厚い長編大作を読んだような読後感があります。

北海道の山深い田舎で育った外村は、森の情景や森が奏でる音をピアノに重ねています。

音が重要な要素の作品の為、こうした叙情的な感性に訴える表現が多用されます。

詩的な表現や比喩が多いと読みにくくなることがあるのですが、外村の純粋で素直な気性と素朴な感性が上手く組み合わさって、外村が音から感じている森の風景がすっと頭に入ってきます。

美しい音とは何か、という答えの見つからない難題に向き合い一人の調律師として成長していく物語です。

音楽的素養も才能もない外村が先輩から学び、お客さんの反応に悩み、それでも諦めず毎日努力をする姿は、働き始めて悩む新社会人と同じで共感できる場面が多く登場します。

【調律の世界】

特にやりたいこともなく、夢中になれることもない高校生の外村は体育館のピアノを調律しに来た板鳥と出会い、調律という世界を知ります。

高校卒業後の進路を調律師になることに決めて専門の学校に入り、板鳥の働く江藤楽器店に就職します。

しかし、専門の学校を卒業をしたとは言え外村の調律技術は基礎の基礎でしかなく、周波数を揃えて音階を整列させることが出来ても、そこから美しい音への調律など到底できる段階ではありませんでした。

先輩の柳から向き不向きがあると言われ、もし向いていなかったらどうしようと外村は不安に思います。

音を合わせる以上のことが出来ないことに苦しんでいると、板鳥から地道に取り組み決してホームランを狙ってはいけないと助言を受けます。

時間を作って店のピアノを調律する練習をし、今まで聴いたことがなかったピアノ曲集を聴き、音楽と触れる時間を多く作って日々努力を積み重ねます。

ようやく現場の仕事の同行が認められ、双子の姉妹が弾くピアノの調律をする柳の仕事を見学をすることが許されます。

双子の姉の和音と妹の由仁(ゆに)が柳の調律したピアノを弾くと、姉妹それぞれにピアノの音色の違いがあることを感じ取ります。

和音は静かなピアノで、由仁は情熱的なピアノでした。

由仁は明るい感じの音にして欲しいと柳に要求し、柳はそれに応えて微調整をして姉妹の家のピアノの調律は終わります。

柳は由仁のピアノを評価しますが、外村は和音の紡ぎだす音に特別なものを感じました。

同じピアノを弾いても、ピアノから出る音は弾き手によって変わることを体感した外村は、ピアニストが自分の音を把握して、自分にとっての一番いい状態のピアノの調律を求めていることを知ります。

ピアノを調律してピアニストが美しい音を出す手助けする調律の仕事に、外村は改めて地道に努力しようと心に誓います。

外村は柳から調律の技術が高いだけでは仕事は出来ないことを教えられます。

欲しい音は人それぞれ違って、調律師へ要求を出すときの言葉の表現は様々です。

音は目に見えない形のない一瞬の芸術の為、その場でこの音にしてくれと欲しい音を鳴らして調律師に聴かせることが出来ません。

その為、明るい音にして欲しいとかごつごつした音がいいとか、有名なピアニストの音色などお客さんは調律師に言葉で欲しい音を伝えようとします。

調律師はお客さんが伝えようとする欲しい音について、その言葉からどのように調律すればいいか考え、お客さんの頭の中にある欲しい音を調律で再現しなければなりません。

柳はお客さんが何を基準にして話をしているのか、そこを確かめなければお客さんの求める音に調律できないと外村に助言をします。

外村は音楽的才能が特別にあるわけではない為、江藤楽器に就職しても美しい音への調律が出来なくて悩みます。

社会人になって初めて仕事をするようになると、会社の先輩たちを見て、本当に自分に出来るようになるのだろうか、もしかして向いていないのではないだろうかと外村のように思い悩んだ経験がある方は多いかと思います。

外村はホームランを狙ってはいけないという助言を受けて地道に努力するなど、音楽の才能や素養がないことを自覚して、美しい音を調律できる調律師になる為の努力を惜しみません。

結果はすぐには出ず、思い悩みながらも調律師として必要なことを学び取ろうと前向きに取り組みます。

人によって捉え方が違うものを相手にする仕事は、正解がないため柳の言う通りお客さんとどのように意思疎通を取るかということが重要となります。

一番良いものを提示してもお客さんが納得しなければそれは不正解で、あれこれ別のものを提案して結局最初に提示した内容で落ち着くということは良くあります。

この提案が一番いいものだとわかってもらわなければ、お客さんの求める素晴らしい内容だったとしても無意味になります。

「適当にやっといてくれ」なんて大雑把な要求をそのまま受け取ってしまうと、「適当」の度合いが奇跡的に自分のしようとする仕事の内容と合致していない限り、お客さんが納得することはまずありません。

お客さんの求めるものは何だろう、と常に考え明確な正解がないものを探し続けることは難しく、お客さんと価値観を擦り合わせていくのは大変な作業です。

お客さんによって違うそれぞれの美しい音に、外村は悩み続けます。

【夢を諦めるということ】

柳はお客さん一人一人と丁寧に向き合い、出来るだけお客さんの欲しい音を再現しようとしますが、江藤楽器店の調律師全員が柳と同じ仕事のやり方をしている訳ではありません。

同じ調律師の先輩の秋野は、外村とは何もかもが正反対です。

秋野は元々ピアニストを目指していた過去があり、耳が良いなど外村とは音楽の経験値に大きな差があります。

秋野は調律師としての長年の経験からお客さんを体系別に分けていて、調律の型を決めてその型通りの対応をします。

柳のようにお客さんの要求から考えてその場でオリジナルの調律をするのではなく、あらかじめ決めておいた型の調律をしてお客さんを満足させます。

外村は秋野がお客さんに美しい音を知る機会を失わせているのではないかと反感を持ちますが、秋野は外村の言い分をわかった上で技術がなければ弾きこなせないと言い捨てます。

かつてピアニストを目指していた秋野の言葉に、秋野の調律がお客さんを軽視したわけでも手を抜いた調律をしているわけでもないことを感じ取ります。

秋野の調律の仕事に同行したことで、秋野の調律の技術が正確で速く手など抜くどころか弾き手の力量に合わせて調節していることを知ります。

秋野がピアニストを目指して挫折した経験があるからこそ出来る調律の方針で、外村は秋野から新しい考え方を学びました。

真剣にピアニストになる夢を追いかけていた秋野ですが、耳が良すぎた為自分の鳴らす音と他の音との違いがはっきりとわかってしまい、その差を埋められないまま苦しんでピアニストの夢を諦めて調律師になりました。

ピアニストを諦めるまで見続けたという夢の話は壮絶で、結果の分からない何かを追い求め続けることはどういうことなのか、それを端的に現わしている夢です。

外村は板鳥から決して諦めないことだと言葉をかけてもらい、柳からは才能とはそれを好きだという強い気持ちだと言われ、秋野からは諦めないで続けることがいかに苦しく難しいかを教えられます。

同じ仕事をしていても、人によって仕事への考え方や進め方は異なります。

何もわからない新人の時は先輩によって違う仕事の進め方や考え方に戸惑い、振り回されることが多いです。

柳の仕事の進め方や考え方は、お客さんの要望を可能な限り叶えるというお客さんが主体になったもので、調律師に限らず全ての職業に当てはまる基本的な考え方です。

耳が良く調律を速く正確に行える秋野は、お客さんの欲しい音ではなくお客さんのレベルに合わせた音を提供し、結果的にお客さんを満足させます。

どちらも最終的にお客さんは満足しますが、結果は同じでもその過程には歴然とした差があります。

秋野のやり方は仕事に慣れてくると出来るようになる、いわば効率の良いやり方で秋野がしているように良い意味で効率が良いのか、それとも手を抜いてサボっているだけなのかはその人の取り組み方次第です。

柳のもとで調律の勉強をしていたこともあって、考え方が全く違う秋野に外村は反感を抱きましたが、ピアニストを目指していた秋野にしか見えないものがあるのかもしれないと考え直します。

外村は考え方が違う人と関わることになっても、自分には見えないだけでその人にしかわからない何かがあるのかもしれないと考え、その何かを理解したいと思い苦手に思っていた秋野の仕事に同行するなど、自分と違う価値観や世界を持っていることを否定することはしません。

例えそれがクレームをつけてきたお客さんだったとしても、何が足りなかったのか考え反省しお客さんのせいにすることはしません。

ここまで純粋で素直に取り組めるのは一つの才能だと思いますが、こうした外村の姿勢は結果に繋がらなくても周囲に評価されていきます。

【目指すべき場所】

板鳥のコンサートホールの仕事に同行させてもらい、初めて会った高校の時以来の板鳥の調律を見ることが出来ます。

一流のピアニストが弾いた板鳥の調律した音に外村は圧倒され、板鳥が一流の調律師であることを改めて実感します。

調律師が目指すべき弾く人の為の調律を知り、コンサートに聴きに来た全ての人が素晴らしい音楽を聴いたと外村は確信します。

今まで家庭や学校など規模の小さい場所で演奏されるピアノしか調律してこなかった外村は、コンサートホールの調律が別次元のものだとわかったものの、秋野が言う調律師は誰もが一流のピアニストに自分の調律したピアノを弾いてもらいたいと思うものだ、ということがよくわかりません。

外村は板鳥のように、自分の調律したピアノがコンサートで一流のピアニスト弾いてもらっているところを想像することが出来ませんでした。

自分が目指すべき場所はどこなんだろう、と考えていると外村は自分の調律したピアノを嬉しそうに弾いてくれる青年と出会い、一人きりの部屋で誰にも聴かれることのないであろう音色に感動します。

コンサートのように大勢に聴かせる音と、誰もいない個室で一人で弾くピアノの音のどちらも人を感動させる音色であることは変わらないと考え、外村は一握りの調律師にしかなれないコンサートチューナーを目指さないという方針を決めます。

しかし、和音と由仁の姉妹にある問題が起きたことがきっかけとなって外村の目指すべき場所が変わります。

姉妹に起きた問題は外村に一流の調律師になる為の気づきを与え、美しい音に調律が出来ないことに悩み続けた外村の調律に変化が起きます。

【最後に】

音楽が題材ということもあって、外村の一人称視点で語られる音から受け取る世界は叙情的で美しく、ピアノの音からここまで感じ取ることが出来る感性の豊かさに新しい世界を体感しているような気分になります。

音楽家や音に携わる仕事をしている人たちが感じている世界を覗き見ることが出来る、詩的で美しい小説です。

ピアノと調律に関する細かな知識や、登場する人物たちの音楽に対する考え方や受け取り方の違いなど、この小説を書くために様々な資料を集め取材を重ねたことがわかる密度の高い作品です。

外村が音楽的才能や素養が無いところから努力し失敗を重ねながら成長していく姿は、読んでいて勇気づけられる内容で、外村のように才能がないのかもしれない、向いていないのかもしれないと悩んだことは誰しもがある経験ではないでしょうか。

才能がないとわかることが怖いと考えたり、上手くいかない調律に焦りを感じたりと思い悩む度に、板鳥や柳は外村の努力している姿を認めて励ましたり助言をして見守ります。

秋野は優しい言葉はかけないものの外村にとって良き先輩であり、いい加減な仕事をしてお客さんを困らせたり同僚の足を引っ張るような嫌な人間は出てきません。

外村が他人を否定したり批判的な言動をしない為、読んでいて嫌な気持ちになることがなく外村が感じている音の美しさとその心象風景に引き込まれます。

プロでも趣味でも音楽に携わっている人や音楽家たちが感じている世界を知りたい人、新しいことを始めて悩んでいる人にお勧めの作品です。

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