※この記事は十二国記シリーズ第三巻の紹介記事となりますので、第一巻「月の影 影の海」、第二巻「風の海 迷宮の岸」を読了していることが前提となります。
「月の影 影の海」「風の海 迷宮の岸」の内容に触れていますので、まだ読んでいない方はご注意ください。
【簡単なストーリー】
雁国の治世500年の大国になるまでには、国の方針を固めるある事件があった。
尚隆が延王になるまで、雁国は一度国が滅んだと言われるほど壊滅的な状況だった。
先王による悪逆非道の行いの数々は、土地に壊滅的な被害をもたらし国民の数は大幅に減ってしまった。
麒麟の失道で先王は崩御したが、新しい麒麟は王を選べないまま寿命を迎えて死んでしまうという大凶事が起こり、国民は苦しみを取り除いてくれる新王を長く待ち望んでいた。
一方で、新王を選ぶ延麒・六太は戦乱を経験して王は国を滅ぼす存在として信じることが出来ないでいた。
尚隆が登極して20年余り、国土は徐々に回復してきたものの先王の爪痕はまだ色濃く残っていた。
元州に怪しい動きがあり、また戦乱が起きることを感じた六太は尚隆のいい加減な政務態度を見て反発をする。
犠牲なしには進めないという尚隆の言葉に納得が出来ず、六太は友人として自分を訪ねてきた妖魔に育てられた青年に警戒心なく会いに行ってしまい、そこで連れ去られてしまう。
連れ去られた先は元州で、実務を取り仕切る斡由(あつゆ)は尚隆の政治を糾弾し王の代わりに自らが統治をすると言い放つ。
王は国を滅ぼす存在だという考えが消えない六太は、尚隆を信じることが出来ず統治者らしい振る舞いをする斡由のいうことは最もだと考えてしまう。
尚隆と斡由の苦しむ民の為という正義がぶつかり合い、互いが軍を出し合う一触即発の事態にまで発展する。
天意はどちらの味方をするのか。
後に治世500年の大国になる雁国が、一つの方針を決めた始まりの物語。
著:小野不由美/新潮文庫
どんな本?
第一巻「月の影 影の海」で陽子に協力をしてくれた延王主従が主人公の物語です。
陽子が十二国へ連れてこられた時、雁国は治世500年の大国でしたがその雁国がまだ治世20年と若い頃に起きた争乱が中心となっています。
先王の影響が色濃く残っていて、尚隆を取り巻く状況はまだ不安定で有能な官吏登用も出来ていませんでした。
延麒・六太は王は国を滅ぼすものだとして王という存在そのものを信じておらず、尚隆の飄々とした態度といい加減に見える政務への取り組み方から、尚隆を信じ切れていませんでした。
陽子と出会った頃のような、信頼関係が出来ていない延主従の様子が描かれます。
王とはどのような存在であるべきで、その責任とは何かを問いかけており、民意を具現化した存在の麒麟が政治を行えない理由が本書ではよくわかるようになっています。
麒麟の抗えない性が六太に軽率な行動をさせてしまい、却って犠牲を生む結果を招いています。
尚隆と六太は妖魔に育てられた少年と出会うことで、雁国が目指す一つの方針が定まります。名誉や地位に拘る人の愚かさも描かれ、道理を失い暴走をする様子は突飛でもなんでもなく現実世界でもこのような人はいるため、著者の観察眼と描写力に驚きます。
【王は国を滅ぼす存在】
雁国は先王梟王(きょうおう)によって、国は荒廃し壊滅状態となっていました。
麒麟の失道で天意が尽きるまで続いた蹂躙は、雁国は一度滅んだと称されるほどの状態にまで荒廃してしまい、そのような状況の中追い打ちをかけるように新しい麒麟が王を選べないまま死んでしまうという前代未聞の大凶事が起きてしまいます。
新王を待ち望む中、新しく生まれた延麒・六太は蓬莱へと流されてしまい行方不明となってしまいます。
蓬莱へと流された六太は、戦乱で困窮していた育ての親から口減らしの為捨てられます。
死を待つだけだった六太は、麒麟として迎えが来たため一命を取り止めましたが、蓬莱で経験した戦乱と子供を捨てなければ生きていけない国にした「上の人たち」のことを嫌悪するようになります。
六太の中で王とは国を滅ぼすもので、王などいなくても民は勝手に生きていけるという考えを持ってしまいます。
十二国の世界に戻った六太は王を選ぶことを拒否します。
先王が蹂躙しつくした雁国の有様を見て、六太は王は国を滅ぼすものだという考えを強くします。
王など要らないと世話をしてくれた女仙に叫び、六太は再び蓬莱へと戻ります。
そしてそこで六太は滅亡しかけている国の若殿だった尚隆と出会います。
出会った瞬間から六太は尚隆が王だと確信しますが、これが雁国を滅ぼすのだと思うとすぐに誓約を結ぶことが出来ません。
戦況が悪化していき、追い詰められていく尚隆に血の臭気に当てられながら六太は傍を離れることが出来ず付いていきます。
尚隆の民を率いる者の責任や、国への考え方を知り六太は尚隆に雁国を託すことにします。
一度国を失い、信頼してくれていた民たち全てを失った尚隆は十二国の世界でもう一度やり直すことを決意し、六太に任せろと言います。
王を選ぶことを嫌い、王は国を滅ぼすと信じる麒麟はついに延王を選びました。
あれから20年余りの月日が経ち、見渡す限り荒廃しかなかった大地には緑が増え、雁国は少しずつ復興していきました。
六太は緑が増えた大地を見ても、いずれ王が戦乱を起こし滅ぼしてしまうという考えが消えることはありませんでした。
延主従中心の本作では、王とは何かということが描かれています。
六太は戦乱を起こすのはいつも上の立場にいる「王」という存在で、民はそれに巻き込まれ自分の子供を殺さなければ生きていけない地獄を強いられていると考えています。
六太にとって王は災いのもとで、麒麟でありながら王など要らないという考えを持っています。
王への不信感がある中、蓬莱で滅亡寸前の小国の若殿だった尚隆と出会い、王とはどのような存在なのか尚隆の考えを聞き、嫌悪していた王という存在への見方が変わります。
六太へ語った尚隆の考える王としてのあるべき姿は出会ったときから終始一貫としており、蓬莱では王としての責任を果たせず全てを失った後悔から、尚隆は王としての責任について強い思いを持っています。
六太の中で消えない王という存在への不信感が原因で、尚隆のことを信じることが出来ず六太は怪しい動きのある元州に連れ去られてしまいます。
【妖魔の子と再会】
十八年前、六太は使令に乗って空を飛んでいたところ妖魔に乗った少年とすれ違います。
妖魔が少年を乗せているなど前代未聞で、驚いた六太は少年を追いかけます。
少年と妖魔に追い付くと、妖魔は六太を襲おうとしますが少年は妖魔を宥めて襲うのを止めます。
驚いたことに少年は妖魔と意思疎通が出来ていました。
妖魔を支配できるのは麒麟だけのはずですが、目の前の少年は妖魔に襲われず一緒に暮らしているようでした。
興味を持った六太は少年から話を聞くことにします。
少年は六太と同じように困窮から親に捨てられた捨て子で、妖魔に巣穴へ運び込まれそのまま妖魔に育てられたという、これまでの常識からは考えられない存在でした。
少年は蓬莱を探していましたが、六太からどんなに探しても決して行くことが出来ないと知らされ落胆します。
六太は街で暮らそうと誘いますが、養い親になっている妖魔が共に暮らせないのでは行けないと答え、そのまま別れることになりますが六太は名前が分からないという少年に「更夜」(こうや)と名前を付け、街で暮らす気になったら訪ねてくるようにと話します。
別れてから一度も六太は更夜と出会うことはありませんでしたが、更夜の方から十八年ぶりに訪ねてきました。
身なりや言葉遣いがしっかりとしている更夜に驚いた六太でしたが、友人として更夜を出迎えます。
更夜は仙籍に入り宮仕えをしていました。
護衛が止めるのを無視して六太は更夜に誘われるまま街の外に出てしまい、そこで更夜の会いに来た目的を知ります。
養い親の妖魔と更夜の部下が現れ、街から攫ってきた赤ん坊を人質に取ります。
更夜は妖魔と長く暮らしていたことで、妖魔と麒麟の生態について詳しくなっていました。
麒麟が血に弱いことや、目の前で命が失われることを嫌うことを利用して六太は更夜の主人がいる元州の斡由のもとへ連れ出されてしまいます。
尚隆が警戒していた元州に麒麟が誘拐されてしまうという、最悪の状況になってしまいました。
慈悲深く民意を具現化した存在とされる麒麟が、なぜ王を選び自身で政治を行わないのかは六太と尚隆の意見のすれ違いで表現されています。
更夜に会う前に、元州の怪しい動きから争いが起きる可能性を考え会議をする尚隆達から、六太は自分には向かない話だとしてその場を離れます。
戦乱が起きて民が犠牲になることを嫌う六太に、尚隆は犠牲はつきものだと諭します。
六太は自らが戦乱の中親に捨てられた経験を持つ麒麟の為、争いを嫌う麒麟としての本能が過剰に反応してしまい、王は国を滅ぼす存在という思いがそれに拍車をかけてしまいます。
尚隆の言うことは正論ですが、六太はそれを素直に受け入れることが出来ません。
「月の影 影の海」の景麒や「風の海 迷宮の岸」の泰麒への描写で血や争いを嫌い、慈悲深い性質を持つ麒麟だけでは国を治めることはできないということは説明として出てきていましたが、本作では六太と尚隆とのすれ違いでなぜ麒麟が王にならないのかが具体的に描かれます。
麒麟の本能として血を流すことを決断できない生き物だということがよくわかるようになっています。
妖魔は使令になっても自らの生態については決して話すことはしません。
十二国の世界において妖魔は未知の存在で、その秘密を探ってはいけないとされています。
その為、その妖魔に育てられた更夜は異例で誰よりも妖魔に詳しくなっていました。
妖魔と麒麟の性質を利用して六太を誘拐した更夜は、斡由のもとへ連れて行きますが六太を特別な友人として考えていることは変わりありませんでした。
【斡由の要求 尚隆の策略】
斡由と引き合わされた六太は、臣下の礼を取り恭しく対応する斡由に驚きます。
斡由から六太を誘拐した理由は尚隆の政治への不満から起こした行動だと説明を受けます。
尚隆は先王が任命した州侯から自治権を取り上げており、治水などの重要な行政を行えないようにしていました。
荒廃からまだ二十年程度では、破壊されつくした土地は回復しておらず特に治水の問題は雁国全土に渡っており、全てに対応することは出来ていませんでした。
六太は治水の問題に関して尚隆には再三進言をしていましたが、聞き入れて貰えず王は周囲がどれだけ助言をしても王の気分次第で事が進んでしまうと六太は諦めの境地になっていました。
斡由は治水に関して尚隆に何度も懇願したが全て聞き入れて貰えず、王宮では尚隆が政務を御座なりにしているという話を聞くと六太に伝え、政務に興味がないのであれば全権を斡由に渡して欲しいと話します。
斡由の要求は王の上に上位帝を作り、自らが政治を行うということでした。
いい加減なように見える尚隆の政務態度に、六太は斡由の要求が悪いものではないように感じますが、六太はそもそも王という存在そのものを不要と考えている為、斡由の望む上位帝は更なる王を生むにすぎない為受け入れられません。
斡由の使者として関弓にやってきた院白沢(いんはくたく)は、延麒を捕まえていることと、上位帝の要求を尚隆に伝えます。
元州の狙いを知った尚隆は、白沢の要求を突き返し元州への対策に乗り出します。
先王の影響が強く残っている状況では、元州を逆賊として討つために関弓の防衛を薄くすることは出来ません。
更に悪いことに今回の内乱では敵側が延麒を捕まえていて、いつでも延麒の首を落として尚隆を道連れに殺してしまうことが出来るという、王と麒麟の関係を利用した最大の弱点があります。
怒り狂う側近たちに尚隆は策を伝えて、天に選ばれた王が自分であるのならこの局面も乗り切れるだろうと話します。
【抗えない麒麟の性】
側近たちが危惧した通り六太は更夜によって命の危機にありました。
六太は呪術をかけられており、元州の監視として派遣されていた驪媚(りび)と攫った赤ん坊に、六太が逃げ出そうとしたり呪術を解こうとすると二人が死ぬという仕掛けを施します。
驪媚が逃げ出そうとしたり、呪術を解こうとし場合も同じように発動するようになっており逃げ出すには誰かが必ず犠牲になるという、人の命の牢獄を作り上げます。
目の前で命が失われることを避ける麒麟には絶対に抜け出せない牢獄で、麒麟の性質を知る更夜だからこそ作れた牢獄でした。
身動きのできない六太を置いてきぼりにして、事態は戦争へと動いていきます。
逆賊となった元州を討つため、尚隆は軍を動かしました。
斡由は戦争を嫌がる六太に、尚隆と同じように犠牲は避けられないのだと説きます。
尚隆と同じく少ない犠牲で済むのなら迷わずそちらを選ぶという斡由に、六太は戦争をしたがるようにしか思えない二人を理解することができません。
そこへ更夜が、目の前の犠牲を嫌がる六太に痛烈な言葉を投げ掛けます。
今の事態を引き起こしたのは、小さな犠牲を受け入れられない麒麟の性と六太自身の行動にあり、斡由が戦争をせざる負えなくしたのは他でもない六太自身だと言います。
戦争を避けたかったのであれば、更夜を殺し人質になった赤ん坊を見捨てて逃げればよかったのだと言われ、六太は何も言い返せません。
六太はようやく尚隆の話していた避けられない犠牲の意味を理解することになるのでした。
麒麟の慈悲深い本能というものが厄介で、麒麟は人間とは違う生き物だということが繰り返し描かれます。
血を浴びただけで病んでしまう麒麟にとって血は恐ろしく、血が流れることを厭わない人間は麒麟にとって理解しがたい存在です。
また、人間にとっても血を嫌って少ない犠牲を選べず、将来に大きな犠牲を生み出すことを結果的に選んでしまう麒麟の慈悲というものは不可解です。
更夜が指摘した通り、六太の行動は犠牲を避けているようで大きくしており戦争は避けられないところまで来てしまいました。
麒麟には王が必要だということが、麒麟の性に抗えないで行動してしまう六太に現れています。
斡由は臣下たちに評判がよく、無茶苦茶な王だと日々悪態をつかれる尚隆とは正反対に思えて、六太は尚隆は勤勉な斡由を見習えば良いと軽口を叩きます。
ひたすら民を思い、民さえ潤えば権力など要らないと話す斡由は理想的な統治者に見えて、元州の側近や民たちは斡由を信頼していました。
六太から見ても斡由は信頼の厚い理想的な統治者に思えますが、王に相応しい振る舞いをしているのに天意がなかったということが、斡由という男の全てを現していました。
【玉座の重み 斡由の真実】
六太は尚隆を玉座に据えたこと、王を選んでしまったことを悔やみ始めていました。
尚隆が斡由と違っていい加減に政治をするから、元州が謀反を起こしてしまったし麒麟が王を選ぶから争いは絶えないと考える六太に、驪媚が尚隆が行っている政策の数々の意味を説明します。
驪媚は尚隆が誰よりも民を考え政治を行っている、王に相応しい人物だと語りその王たる尚隆を助ける為、驪媚は未来の雁国の為少ない犠牲を選び実行します。
全ては新しく生まれた王への期待ともたらされる豊かな国への希望の為でした。
驪媚の壮絶な覚悟は、六太と元州の者たちに衝撃を与え元州は内側から崩壊していきます。
尚隆が新王への期待と希望を利用して行った策は成功し、民は元州を逆賊として怒り新王を守る為立ち上がります。
斡由の目論見は悉くはずれ、今や戦況は圧倒的に不利となり元州は戦争を仕掛ける大義名分を失ったただの逆賊となってしまいました。
治水を蔑ろにし王宮の評判も良くない尚隆と天意を信じる民を斡由は甘く見ていました。
驪媚の覚悟に白沢は民にとって玉座がどれほどの意味を持つものなのか、例え天意が選んだ先王が暴虐の限りを尽くしても、天意に選ばれた王という存在がどれほどの民の希望で未来であったかその玉座の重さを痛感させられます。
白沢は斡由に投降を勧めますが、斡由は聞く耳を持ちません。
斡由は勝つためだけに往生際の悪い命令を出し始め、そこには権力に興味はなく民さえ潤えばいいと話した名君の顔はありませんでした。
驪媚の犠牲を経て六太は城から脱出するため地下へと逃げていきます。
血を大量に浴びた六太は満身創痍で、倒れそうになりながらも地下を進んでいくとそこには斡由の不都合な真実が隠されていました。
残酷な行いと良き統治者の振りをしていただけの斡由に六太は怒りが抑えられません。
そこへ六太を探しに来た兵士がやってきます。
その中には兵士として潜入した尚隆がいました。
いい加減に見える尚隆と良き統治者としての振る舞いをする斡由の二人は共に民の為を標榜し行動をしています。
尚隆は周囲からどのように思われようが気にすることなくやるべきことを淡々と行い、斡由は目に見える部分だけを取り繕い名声だけを気にして失敗を認めません。
着実に結果を出すのは尚隆ですが、どちらが評価されやすいかと言えば斡由になるのでしょう。
人は分かりやすいものに惹かれて、どちらが正しいかの判断が出来る人間は限られます。
元州は斡由の見せる張りぼての名君の顔を信じ、付いていった結果が逆賊として討たれそうになっている現実でした。
あらゆる失敗を認めず、完璧で清廉な人物像を作り上げることが上手い斡由は悪足搔きを続け、とうとうその報いを受ける時がやってきてしまいます。
【最後に】
本作は延主従の過去の話となる為、独立した話のように思えます。
本作を読まず飛ばしても問題ないように思えますが、今後の伏線となる内容が出てきています。
斡由の要求した上位帝について、六太は軽率に悪くないような感想を言いますが驪媚が猛反対します。
その理由は、天意がない為誰も暴走を止められない最悪の状況になるからです。
先王の蹂躙が止まったのは天命が尽きて、天が玉座を取り上げその命を奪ったからです。
いわゆる天罰が下った、という状態ですが十二国の世界では悪い王は天が取り除いてくれるということになっています。
それでは、驪媚が危惧した通りもし天意のない者が王と麒麟が存在している状態で民を虐げる行いを続けた場合、一体どうなってしまうのか。
それが現実に起きたのが戴国編第六巻「黄昏の岸 暁の天」です。
また、斡由は生まれも育ちも十二国という生粋の十二国の世界の民でありながら天意や天帝について疑問を呈しています。
斡由の本性が分かってから考えると、この発言は天意がないことを認められない斡由のねじれた精神性から来た、自分を選ばない天帝が間違っている、という言い訳なのですが天帝は本当に絶対的な存在なのかという疑問を読者に投げ掛けています。
そして天帝は伝説上の存在で実在するのか、なぜ非道な行いをする王を選ぶのか、麒麟を病ませて王を殺すような手間をかけるのか、民が苦しんでいるのに即座にその命を奪わないのはなぜかなど斡由の発言は、「黄昏の岸 暁の天」に繋がる内容を含んでいます。
更に斡由は十二国の世界が生まれた由来について言及しており、麒麟が偶然にも力が甚大で知能があり、主人を一人選ぶ習性があっただけの獣を先人たちが神獣に祭り上げただけと言い放ちます。
斡由の天帝と麒麟についての発言は興味深く、十二国の世界そのものを揺るがす核心に触れているような内容です。
六太の回想で、尚隆の国が滅んでいくまでを斡由が劣勢になっていく時間軸と場面を重ねて、その王としての器の違いを描いています。
王としての責任を果たすため民を守ろうと戦う尚隆と、負けるという失敗を認めたくないから戦おうとする斡由では、民への覚悟と王としての格が違いすぎました。
本作で何度も六太が王は国を滅ぼす存在と考えている場面があり、尚隆は民あっての王であるとして、良き王とあろうとする姿が描かれ最後に六太は尚隆を信頼しますが、実は六太の危惧は外れてはいないことが、第七巻で短編集「華胥の幽夢」の『帰山』で明かされます。
先王が善政をした後、雁国は一度滅んだと称されるほど蹂躙したという内容や、六太が本作で王は滅ぼすために豊かにするといった言葉が、尚隆についての伏線となっています。
更夜は続刊にて意外な形で再登場しますので、本作を読んでいた方がより楽しめます。