初めて「悪人」を読んで吉田修一さんを知り、他の著作を読んでいる中で本書を見つけました。
五人の若者の群像劇の結末には驚き、思わず最初から細かい部分まで何度も読み直しました。
【簡単なストーリー】
都内の2LDKのマンションの男女4人の共同生活は、友達以上家族未満の関係でとても居心地が良かった。
先輩の彼女へ横恋慕をして悩むお気楽な大学生の杉本良介、人気俳優として売れ出した彼氏からの連絡を一日中待ち続ける大垣内琴美、売れない絵を描き続ける相馬未来、映画配給会社に勤務する健康オタクの伊原直輝。
お互い全てを曝け出しているようで、それぞれが仮面を被り都合の良い関係を演じていた4人の前に、小窪サトルという男娼の少年が入り込むことで彼らの楽園に不穏な空気が漂い始める。
恋人でも家族でもない、奇妙な男女の共同生活が辿り着く結末とは?
著:吉田修一/幻冬舎文庫
どんな本?
五つの章で構成されていて、一つの章を一人の登場人物が担当する形式の群像劇となっています。
シェアハウスとして貸し出されている部屋ではない為、2LDKの部屋を男部屋と女部屋に分けて寝泊まりをしています。
リビングルームが共通のスペースとなるのですが、気心の知れた良い関係であるように見えて実はお互いのことを何もわかっていないのではないかと各登場人物が感じており、リビングルームをインターネットのチャットに例えて、別の人格を演じてこの関係を維持しているに過ぎないと考えます。
写真や音楽、思い出までもSNSのサービスを利用して他人とシェアする時代に、住居をシェアするシェアハウスという新しい居住形態も今では珍しくなくなりました。
本書ではシェアハウスのように、共同で住み楽しく暮らしているように見える若者たちの虚構に鋭く切り込んだ作品となっています。
軽快な文章についつい笑ってしまうような、センスのある会話劇や描写を楽しみながらこの物語はどこに向かっていくんだろう、と読み進めていくと五人が互いに明かさない仮面の下に隠した本当の自分が曝け出されていきます。
読者にしか明かされない彼らの本当の姿は、群像劇という形で描かれることで他人にはいかに本当の自分というものが伝わらず、また伝えることが出来ないのか、その様子が痛いほど表現されています。
【お気楽な大学生 杉本良介の横恋慕】
第一章はお気楽な大学生の杉本良介の視点で、共同生活の様子と良介自身の物語が展開されます。
良介は何をするにも格好がつかない、情けない男で周囲からはお気楽な大学生だと思われています。
格安で購入した車に「桃子」と名前を付けて、十キロ毎に止まる車を乗り続けています。
甲斐甲斐しく洗車までしているのですが、デートで使用できるような車ではありません。
同居している四人に頼まれたら車を出してあげたりと、気の良いところもあるのですが頼れる男とは言えない存在です。
無自覚で行っている良介の「甘え上手」な処世術には、同居人たちも半ば呆れ感心するほどです。
絵に描いたような善人で悩みもなさそうな良介ですが、可愛がってくれている先輩の彼女に恋をしてしまいます。
そして、良介は先輩の彼女と関係を持ってしまいます。
お気楽に見える良介ですが、故郷の家族のことや事故死した友人のこと、先輩の彼女に横恋慕してしまったこと、そして現在の自分の状況に物思いに沈むことがあります。
同居人たちは、良介が実は深く悩んでいることを知りません。
良介もまた同居人たちに先輩の彼女に恋をしてしまったことを伝えても、事故死した友人のことや、お金を工面して大学へ送り出してくれた両親のことなど、良介の心の奥深くにある大切な感情や思い出までは伝えることはありません。
気が利かない、馬鹿だと思われながら良介はお気楽な大学生でいることを選びます。
楽しく共同生活をしているようで、その実態は心の奥深くは踏み込ませない都合の良い関係を続けている、孤独な共同生活が浮かび上がってきます。
【待ち続ける女 大垣内琴美】
琴美は一日中リビングに居座り、ひたすら若手俳優として売れ始めた彼からの電話を待っています。
同居人たちはそんな彼女に呆れ、外に連れ出そうとしますが電話がかかってくるかもしれないからと、その誘いを断ります。
自由な時間が多い良介とリビングで過ごすことが多いせいか、気が向いた時には良介と外で一緒に食事をすることもあります。
便利な女として使われていることに気づかない、痛々しい愚かな女として同居人たちの目には映りますが、男との関係を無理やり終わらせようとすることはありません。
家族ではなく他人の共同生活だからこそある程度のところで線を引き、踏み込まないで静観します。
琴美は彼の母親のことや、彼の言動から遊ばれているのではないと確信していますが、そのことは決して同居人たちに話しません。
同居人たちは、リビングに一日中居座りその美貌を活かすこともなく若さを消費して、将来を潰していっているようにしか見えない琴美を楽天家だと評し、良介とじゃれ合っている様子は能天気な二人組に見えています。
琴美は何事にも興味を持てず、喜びも苦しみもない人生を変えようと考えていました。
その結果が、彼を追いかけて東京へ行き共同生活をすることになった現在の状況なのですが、働かないでいることにも限界があり、琴美も彼との関係に決着をつけなければならない日が迫っていることを予感し、その日が来ることを恐れています。
一番自由な時間を持て余している琴美は、突然現れた小窪サトルを同居人の誰かが連れ込んだのだろうと考え、暇つぶしに付き合わせます。
サトルの登場が、保たれていた均衡を壊し徐々に同居人たちの素顔が見え隠れするようになります。
サトルを抵抗なく受け入れてしまう同居人たちの、お互いへの関心の薄さや面倒ごとを避けている様子は、外から見える楽しそうな共同生活の姿とはかけ離れています。
共同生活にサトルが加わることで、安定していた四人の関係に変化が起きます。
【売れない芸術家 相馬未来】
未来は雑貨屋で働きながら、男性の体の一部を切り取って描いた芸術作品を公園や路上で売っています。
絵の題材からして売れるような作品ではなく、販売に付き合わされる琴美も売れるところを見たことがありません。
道行く人の中に、人生を変えてくれるような巨匠や画商が突然現れて、自分の絵が認められるのを夢見ていますが、そんな夢物語を抱いていることを同居人たちには話しません。
酒癖が悪い未来は、酔っ払って帰ると起きている同居人に絡んでいって手が付けられないので、良介や琴美は未来が酔っているとわかると極力関わらないようにします。
同居人たちの中でサトルに対して、一番警戒心を持っているのが未来でした。
他の同居人たちは、サトルの素性が怪しいことぐらいわかっているのですが深く追求しません。
未来だけが、サトルの仕事を聞いてみたりと探りを入れます。
未来もまたこの共同生活と同居人たちの関係が偽りのもので、実は誰とも会話などしていないのではないかと思いつきます。
リビングルームではそれぞれが、同居人たちの関係における自分の役割を演じているから、「この部屋用の私たち」と「この部屋用の私たち」を作り出している「私」がいるはずだと考えます。
会話をしているのは「この部屋用の私たち」なのだから、リビングルームには「この部屋用の私たち」を作り出した「私」がいないことになり、いないということは「この部屋用の私たち」もまた存在するはずがないので、やはりリビングルームには誰もいないはずですが、現実には「私」は存在して同居人たちと会話をしています。
未来の共同生活についての考察は、堂々巡りをしてしまい結論は出ません。
この未来の考察は、役者が舞台の上で犯罪者や善人を見事に演じても、舞台を降りた役者本人と舞台の役柄とは何も関係がないことに似ています。
マンションを舞台として同居人たちそれぞれが役を演じますが、舞台上の役を通して会話をしているようでは、演じている本人のことなどわかるはずがありません。
目の前に本人がいるのに、作り出した虚構を通してのやりとりでは本物は覆い隠され、存在しないことになります。
毎日の同居人たちの会話は、本人と会話をしているつもりで、実は何もない空間へ向かって話しかけていることと変わりありません。
未来の鋭い考察はサトルへも向けられ、サトルが誰よりも器用に相手によって役柄を演じ分けていることを見抜きます。
未来は友人が亡くなったことで、良介に「桃子」で朝までドライブをしてもらい、その車中で泣き続けます。
未来は良介に涙の理由を語りませんし、良介も未来に踏み込んで話を聞くことはありません。
今度は立場が逆転して、良介からドライブに誘われるのですが、黙って運転を続ける良介に理由を聞いても何も答えません。
この場面での未来と良介の会話は、第一章で良介の内面を知る読者の視点だと未来が考えている以上に、良介が未来の悲しみを分かってくれているのがわかります。
ディズニーシーのことを唐突に聞く良介は、未来にとっては脈絡がなく何を言いたいのかよくわかりません。
友人の事故死のやり切れなさや聞かされた時の衝撃をそのまま伝えられず、お気楽な大学生のままでいるために絞り出した、良介なりの踏み込ませないぎりぎりの表現でした。
ドライブ中泣き続けた未来を知っていたからこそ、抱えきれない思いを抱いた良介が今度は未来をドライブに連れ出したのでしょう。
二人は友人を亡くしたという共通点がありながら、そのことについては決して話し合うことはないのでした。
新宿二丁目のゲイバーを天国と表現したり、男性の体の一部をモチーフに絵を描き続けたりする未来は、少しだけ明かされる家庭環境の影響から心を病んでいることがわかります。
秘密のビデオテープは未来にとっての精神安定剤で、お守りのようなものでしたがサトルの介入により、未来の秘密が同居人たちに知られてしまいます。
未来はサトルを追い出せと迫り、怒り狂います。
【秘密を知りたがる男 小窪サトル】
サトルは、マンションで共同生活をしている四人について、お友達ごっこをしているだけと冷ややかな感想を持っています。
四人に対してのそれぞれの評価は辛辣で、サトルという部外者が四人の生活に介入することで変化が起き始めます。
サトルは自らのことなど一切語らず、聞かれれば相手が満足するであろう創作した身の上話をして、相手の好感度を上げて見せる強かさを見せます。
一番の若者でありながら、世間慣れしたところがあり謎の多い人物です。
四人を友達ごっこと軽蔑しながらも、居心地の良いマンションの生活はサトルに変化を与えます。
サトルには同居人たちには秘密にしている、他人の部屋へ侵入してその部屋で過ごすという犯罪行為を日常的に行っています。
街中で気になる人がいれば、尾行して住居を突き止めます。
サトルにはこうした秘密を暴こうとする悪癖があり、未来の秘密のビデオテープを見つけて中身を見てしまいます。
同じ夜の仕事をする友人と公園でお客を待ち、体を売る先のない不安定な毎日を送っていたサトルは、マンションでの生活をいつの間にか気に入っていました。
四人に関わるようになってから、サトルは夜の仕事でお客が寄り付きにくくなっていき次第に夜の仕事に対して無気力になっていきます。
暇を持て余しているところで、伊原直輝から会社の雑務処理のバイトを持ち掛けられ、直輝の職場で仕事をします。
マンションでは見られない働く直輝の姿は、サトルに将来について考えるきっかけとなります。
このままの生活がいつまでも続けられないことは、同じ仕事をする友人を見ていればわかることで、サトルの中で将来の自分というものが重くのしかかってくるのでした。
相手に上手く合わせて会話をする器用さがあるサトルですが、良介に大学に興味があると思われてしまう発言をしてしまいます。
本気にした良介が嬉々として教師役を買って出て問題集を解かせようとします。
良介が前向きなのは第一章で明かされる事故死した友人への後悔の念からなのですが、そんな背景があることを知らないサトルは、良介の熱意と強引なやり口に押されて受験勉強をする羽目になります。
色々と怪しいところのあるサトルですが、人の為に何かをしたいという願望を持っています。
未来の秘密のビデオテープを見たサトルの起こした行動は、未来を激怒させますが嫌がらせをするつもりはありませんでした。
また同じ仕事をする友人に危うさを感じ、そんな友人を助けようとマンションに同居させてくれないかと相談する優しい一面があります。
そして、このサトルの誰かの役に立ちたいという密かな願望が、第五章で思いもよらない結果を生みます。
【利己的なのに頼られてしまう男 伊原直輝】
共同生活をしている部屋は、元々は直輝と直輝の彼女の美咲が同居していたマンションでしたが、美咲との関係の悪化から第三者を生活に入れることで関係改善を図ったところ、美咲に出ていかれてしまい、その結果恋人でもない男女の奇妙な共同生活だけが残りました。
直輝としては想定外の結果でしたが、行く当てのない人を快く引き入れる懐の深い人物として周りからは評価されてしまいます。
同居人たちを引き入れた理由は、直輝にとって得になることがあるからに過ぎないのですが、人格者として捉えられてしまうことに困惑します。
直輝は同居人たちから頼られることも多く、持ち掛けられる相談には内心うんざりしています。
直輝もまた、マンションの部屋には実は誰も住んでいないのではないかという奇妙な疑念を持ちます。
同居人たちとはそれなりの時間を共有していたはずなのに、どこか実体をもたない何かと生活をしていたような、そんな気がしてなりません。
いつもの習慣でランニングに出かけた直輝ですが、そこで想定外の出来事が起こります。
【漂う不穏な気配 滲み出る狂気】
本書のラストを飾る伊原直輝が主人公の第五章は、他の四つの章とは異質の内容となります。
第五章に入るまで若者たちの群像劇の着地点が見えず、著者の言葉遊びや描写のセンスで時には笑わせてもらい、または鋭い考察や人物描写に考え込んだりと読者を第五章まで引っ張っていきますが、残り少ないページにどのようにして終わるのか不安になってきます。
群像劇特有の物語の大きな繋がりのようなものも見えてこない為、この物語はどんな結末に向かっているんだろうと不安に思いながら第五章を読むと、そのラストに衝撃を受けます。
この第五章を読んだ後では、第一章から第四章の印象ががらりと変わります。
そうして改めて五人の登場人物のことを考えてみると、彼らが狂気的な側面を持った異質な人間たちで、まともではないことがわかります。
ちょっとしたきっかけさえあれば、簡単に犯罪者の側へと転がってしまうような危うさがありながら、何でもない普通の人として生活をしています。
そして、お互いに本当の自分を隠して都合の良い他者になり切り、共に生活をしながら相手のことは知らいない振りをします。
第一章から第四章まで繰り返し描写される、相手に合わせて自分を演じているに過ぎないのではないか、という自問自答は第五章で壮絶な形で一つの答えを出します。
楽しい共同生活の裏側が剥き出しとなり、ある人物はそこで呆然とします。
章が進むにつれて、連続で起きている女性が襲われる事件の話や常軌を逸した行動をしている登場人物たちの様子が明かされていくのですが、楽しげな日常会話や仲の良い雰囲気に覆い隠されて、第五章へ向かって不穏な気配が濃くなっていることに気づかせません。
【最後に】
第五章を踏まえてもう一度読み直すと、楽しく読めていた彼らの共同生活の様子は一転して不気味さを感じるようになります。
元々どこかおかしなところのある登場人物たちではあったものの、人に言えない秘密の趣味や思想は誰にでもあるものなので、第五章を読むまでは不気味とまでは思いませんでした。
何気ない言動全てが怪しく思えて、彼らの真意がわからなくなります。
読み返しても、どの段階で登場人物たちが第五章で明かされた真実に気付いていたかどうかは分からないようになっています。
これは読者を、最後に呆然としたある人物と同じ視点にすることで、分からないことに対しての不気味さを感じるように狙った演出だと思います。
各登場人物の内面を読者に明らかにさせていたようでいて、実は読者もまた呆然としたある人物と同じように、何もわかっていなかったと強制的に自覚させるという強烈なラストシーンです。
だから何度読み直しても、彼らの言動の真意がわからないようになっているのではないかと思います。
呆然とする目の前の人間と読者を置いてきぼりにして、彼らはいつもの日常を演じます。
読者を神の視点で全てを把握していると思わせて、ある人物が受けた同じ衝撃を読者にも与えています。
若者の共同生活の虚構を描き、読み終わってすぐもう一度読み返してしまう衝撃の作品です。