漁師のご先祖様の屋号はなぜかコンニャク屋だった。祖父の残した手記を頼りに奇妙な屋号の秘密を探る旅はやがて自分の起源へと繋がっていく。なぜ自分はここにいるのか。ご先祖様が繋いできた一族の絆が明かす今ここで生きている理由とは/コンニャク屋漂流記 星野博美

ノンフィクションの本を読みたいと思って、書店の棚をうろついていた時に「コンニャク屋漂流記」というタイトルが目に入り、どんな本なのか興味を惹かれて読み始めました。

第63回読売文学賞「随筆・紀行賞」を受賞した作品です。

【簡単な内容】

我が家は「コンニャク屋」と呼ばれる漁師一族だったらしい。

現在は東京で町工場をやっているが、親戚筋は現在も千葉県で漁師を生業としている。

祖父は漁師にならず上京し、町工場を開いたことで父親は漁業を経験することもなくそのまま陸の民となり、その子供の星野博美(著者)は作家・写真家になるなど漁師であったことが遠い昔の話となっていた。

大好きだった祖父は亡くなる前に手記を書き残していた。

どうして漁師なのに屋号が「コンニャク屋」だったのか、気になった私(著者)は祖父の書き残した手記と、親戚への取材を元にその由来を調べることにした。

調べていく内に時代は遡っていき、400年前の遠い祖先に辿り着く。

五反田で町工場が開かれ、そこで育った私が「コンニャク屋漂流記」を書いている今へと繋がる壮大な物語が紐解かれる。

著:星野博美/文春文庫

どんな本?

「コンニャク屋」という不思議な屋号を調べていく内に400年前の祖先に辿り着き、そこから日本の漁業の歴史と当時の漁師たちの生活、そしてそこで生きていた祖先がどのようにして現在の星野家になったのかを明らかにしていきます。

星野さんの幼少期の話もありますので、星野さんの自伝的要素も含んでいます。

話を聞ける親戚たちも高齢で、中には鬼籍に入っている方もいて直接話を聞くことが出来なかったり、一族の歴史をまとめた資料もない為、手掛かりは祖父の残した手記のみとなります。

そこから、様々な資料読み込みいつの間にか日本の漁業の歴史について調べ上げ、祖先がどのようにしてその時代を生きて「コンニャク屋」が屋号になったのかが判明します。

ミステリー小説のように、祖父の手記や口伝えで伝わっていた祖先の話から謎を解明していき、墓石に刻まれていた謎の人物を巡って和歌山県に実際に調べに行くなど、徹底的に祖先を調べようとすれば、こんなにも大変でそして面白いのだと気づかされ、最後まで興味深く読むことが出来ます。

星野さんの家族は笑いに厳しいということですが、そのせいか血縁である登場するコンニャク屋一族や漁師たちは面白い人たちが多く、魅力的な人たちばかりです。

【海の民と陸の民】

外国籍の人と結婚することを国際結婚と言い、その間に産まれた子供はハーフと呼ばれ、ハーフの子供が結婚をして子供を作るとその子はクォーターと呼ばれます。

半分、四分の一とは外国人の血がどれだけかを基準として表現していて、星野さんはそれを職業にも適用して本書で表現しています。

星野さんは自身を漁師系東京人三世として、漁師の血が流れていることを意識しています。

漁師と農家では文化も違えば生活習慣も異なり、そこで使われる言葉も独特なものになります。

漁師は海の民で農家は陸の民として、まるで国際結婚のように様々な文化・言葉・常識の違いによる衝突・摩擦があるとして、その違いについて書いています。

海の民の漁師の仕事は命懸けで、海が荒れれば漁に出れず収穫はゼロ、つまり収入がゼロになりそれが続くことは珍しくありません。

そのせいか、漁師系の親戚たちは博打が好きで借金を背負って無一文になる者が出てくるなど陸の民とはその性質に違いがあります。

星野さん自身も博打好きの気があることは自覚しており、漁師をしなくなって祖父、父と世代が変わっているのにも関わらず、漁師の博打好きが受け継がれていることに驚きます。

もしかしたら、自分の気質の中には先祖からひっそりと受け継いでいるものがあるのかもしれません。

【あの人との意外な接点】

祖父が漁師から町工場へと進路を変えたことが、コンニャク屋一族の大きな転換点となりました。

同じ岩和田出身の埋田夫妻の工場で、上京した祖父は朝から晩まで働きます。

過労により体調を崩すほどの労働でしたが、祖父は工場を転々として修行をし五反田で独立をします。

五反田で祖父が自分の工場を開いたことで、祖父が岩和田出身の人を頼って東京で働いたように、岩和田のコンニャク屋一族や他の岩和田の人たちが祖父を頼って東京にやって来るようになります。

現在、手近なところに親戚が集まっている理由は祖父が工場を開いて、祖父を頼ってやってくる岩和田の人たちの面倒を看たためであり、星野さん一家とその親戚一同はこうして五反田とその周辺に根を下ろしたのでした。

星野さんは書店で『蟹工船』の小林多喜二が五反田にいたことを知り、そしてその時期が祖父が五反田にいた時期と重なることに気づいて、詳しく調べることにします。

祖父と小林多喜二がいた頃の五反田の様子が紹介され、工場に潜入していた小林多喜二と祖父がどこかですれ違っていたかもしれないという、不思議な縁に驚きます。

更に、小林多喜二が潜入していた工場が星野さんの友人の両親が働いていた会社の五反田工場だったということで、小林多喜二という有名人が急に身近な人に感じられます。

同じ場所・時代に生きていながら、小林多喜二は激しい拷問の末そのまま死亡し、祖父は子宝に恵まれ幸せな家庭を築くなどその運命は大きく分かれました。

五反田に住んでいる人や、五反田に縁がある人は現在の五反田になるまでの経緯が書かれていますので、より興味深く読むことが出来るかと思います。

星野さんの母の実家は、無人駅があるだけの静かな町にあるのですが、実は歴史に影響を与えるような大物たちが一時期出入りしており、その中にあの蔣介石がいました。

偉人その人ではなくても、よくよく調べてみると歴史を動かした人たちや歴史的事件に自分の先祖がどこかで関わっていたり、あるいはその場に居合わせていた、なんてことがあるのかもしれません。

【紀州を飛び出した二人の兄弟】

「コンニャク屋」と「きゅうじろう」の兄弟が、400年前に紀州から岩和田へとやってきたことが現在の岩和田にいる「コンニャク屋」の起源だということがわかったものの、なぜ紀州を飛び出して岩和田に向かったのかがわからないままでした。

そこで関係してくるのが当時の漁師の事情と日本の漁業技術についてです。

火災が多かった地域のせいで、祖先のことを知る資料が焼けてなくなっており、失われた資料の部分は想像で補う他ないのですが、鰯は食用の他にも肥料としての需要があり、漁師たちにとって鰯は大きな収入源となる魚であったことに注目します。

二人の兄弟がいた紀州の漁場は狭く、漁師たちが一斉に漁に出れば魚を巡って争いが起きたことは想像に難くありません。

実際にそのような記録が残っており、このまま紀州で漁をしていても先細りなのは目に見えています。

そこで新天地を求めて、当時最先端の漁業技術を持っていた関西の漁師たちはより多く鰯が獲れる漁場を求めて東へ移動をしました。

その時期が戦国の世が終わり江戸に幕府が開いた頃で、多くの消費需要を抱える江戸に近い房総半島に漁場を持つことは、漁師にとって有利となりました。

家康が江戸に幕府を開かなければ、先祖は岩和田に根を下ろさなかったのかもしれず、家康が江戸幕府を開いた歴史上の偉人という他人の距離感から、先祖の運命を変えて今の自分に繋がる要因を作った身近な存在に感じられます。

二人の兄弟が実際にどのようにして、岩和田に向かったのかまではわかりませんでしたが、関西の漁師たちの当時の状況を考えれば、概ね星野さんの想像通りのことがあったのではないかと思われます。

漁師の先祖たちを調べていることもあって、漁師の歴史や漁業技術の変遷について書かれており、漁師について詳しく知ることが出来ます。

もし親戚に漁師がいて今は関東で漁をしている人が身近にいるのであれば、よく調べてみると江戸幕府が出来た頃に関西から移動していて、縁のないと思っていた関西には交流がなくなってしまった自分の一族の末裔がいるなんてことがわかるのかもしれません。

【墓石に刻まれた謎の人物】

岩和田にある星野家のお墓参りに行くと、墓石に「北川五良右衛門」と刻まれているのを発見します。

「星野家」の墓石なのに「北川」の名字が刻まれているのは奇妙で、誰もこの「北川五良衛門」のことを知りません。

墓石に刻まれているということは、星野家と関係が深いはずですがその正体が分からず、和歌山県の史料を探していくと「北川五良衛門」の名前を発見します。

近世の漁村の史的研究の論文の中に紀州藩の漁民についての研究があり、そこで紀州藩が関東に出漁して出稼ぎをしていた漁師たちに、突然5,000両(通貨価値は5億円相当)支払えと要求を突き付けていたことが分かります。

その要求について、有力な漁師たちが苦心していた様子が記録に残っており、その中に「北川五良衛門」の名前が登場します。

「北川五良衛門」が紀州の有力な漁師の一人だったことは分かったものの、最終的に岩和田の星野家の墓石に名前が刻まれることになった経緯はわからず、またいつから先祖が星野の姓を名乗っているのかはわかりませんでした。

「北川五良衛門」の名前が「星野家」の墓石に刻まれていた理由について、星野さんは一つの仮説を立てます。

【末裔たちの再会】

墓石に刻まれていた「北川五良衛門」について詳しく調べる為、和歌山県加太へと向かい、現地調査と取材をすると、先祖と関係のある人物たちの末裔と思われる人たちに出会います。

そこで、星野さんと同じように先祖について調べていた北川家の方から、加太の話と北川家の先祖の話を聞くことで、星野さんの調査が間違っていなかったことがわかります。

肝心の「星野」についてですが、和歌山県湯浅に調査に行くと湯浅ではなく近くの広川の方に一軒だけ「星野」の名字の家があることを知り、会って話を聞くことにします。

すると、そこでもまた北川家と同じように広川の星野家もまた自身の先祖について調べており、詳しい話を聞くことが出来ました。

しかし、著者の星野家と広川の星野家に繋がりがあるかまではわからず、現地調査はここで終了となります。

かつて先祖がいたであろう和歌山県を現地調査することで、見えてきたのは先祖たちが生きていた時代から現在までの土地と一族の栄枯盛衰と、最後の一人になってしまったと嘆き、先祖たちの記録を残そうと調べる末裔たちの先祖への強い思いでした。

【最後に】

一度は自分の祖先について、思いを馳せたことはある方は多いと思います。

もしかしたら、今は見る影もないけれど自分の一族を辿って行けば日本史に登場する偉人と血縁関係があるのかもしれない、または織田信長や武田信玄といった戦国の英傑たちに仕えた武士かもしれない、そんな他愛のない想像をしたことはありませんか?

何気なく勉強していた日本史は、今ここに自分がいるということはその歴史の中に先祖がいたはずで、縄文時代、平安時代、戦国時代、江戸時代と先祖たちが懸命に生き続けて今の自分に繋がります。

今住んでいる場所が仕事場と家賃の兼ね合いで決めたという単純な理由でも、なぜここにいるのか、先祖を辿っていくとそこには時代を生き抜くために試行錯誤していた先祖たちの姿が浮かび上がります。

「コンニャク屋」の由来を調べることは、漁師の歴史を調べることになり、そしてそれは一族が辿った運命を知り、今ここで生きている自分の起源を知ることになります。

片手間に何となく調べるだけでは深いところまでわかりませんが、ノンフィクションライターとして細かく調べ上げ、多くの資料を読み込み実際に取材まですることで、著者の星野さんは自身の起源について、多くのことを明らかにすることが出来ました。

自分という存在はどこから来たのだろう、と本書を読み終えると気になり星野さんのように調べたくなるはずです。

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